いすゞロデオ・ビッグホーン vs 三菱パジェロ 【1981,1982~】

日本のSUV市場を開拓した2台のクロスカントリー4WD

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いすゞが開発した国産初の本格SUVのデビュー

 石油ショックや排出ガス規制を乗り越えた1980年代初頭の日本の自動車メーカーは、主力モデルに発展する新しいクルマのカテゴリーを鋭意検討していた。そんな状況の下、いすゞ自動車はひとつの方針を打ち出す。アメリカで人気を獲得しつつあった“スポーツユーティリティビークル(SUV)”の設定だ。

 シャシーに関しては、同社のRV志向の4WDピックアップであるファスター・ロデオ用を使うことに決めた。が、その上に被せるボディやキャビンをどうするかで開発陣は悩む。荷物がたくさん載せられて、しかも遊びに出かけるのにふさわしいデザインとは何か。打開策は当時のアメリカンSUVから見い出された。スクエアで背の高い外装に使い勝手がいい室内を持ち、さらに道を選ばない4WDの駆動メカニズムが融合。そんな多目的車を造ろうとしたのだ。

車名はロッキー山脈の生息する“大角鹿”に由来

 いすゞのスタッフは試行錯誤を繰り返し、1981年9月にはついに新カテゴリーのクルマのリリースにこぎつける。車名はロッキー山脈に生息する“大角鹿”にちなんだ「ロデオ・ビッグホーン」を名乗った。車種展開はロングバン(ホイールベース2650mm)/ショートバン(同2300mm)とショートソフトトップの3タイプで、すべて2ドアのボディ形式を採用する。搭載エンジンはC223型2238cc直4渦流室式ディーゼルをメインユニットとし、後にG200型1949cc直4OHCのガソリンエンジンが設定された。

“ヤマネコ”の車名を冠した三菱製SUVの登場

 SUVに注目したのは、いすゞだけではなかった。「ジープ」という生粋のクロスカントリー4WDを生産していた三菱自動車が、実用性と快適性を兼ね備えた4WD車の開発を着々と進めていたのである。三菱はまず、1973年開催の東京モーターショーでオープンバギータイプの「ジープ・パジェロ」を参考出品。1979年開催の同ショーではタルガトップの「パジェロII」を披露する。そして1981年開催の同ショーで市販予定車の「パジェロ」を公開し、1982年5月になるとついに量産型の「パジェロ」を市場に送り出した。

 同社の4WDピックアップのフォルテをベースとし、“ヤマネコ”の車名を冠した三菱製SUVは、メタルトップとキャンバストップ(ともにホイールベース2350mm)の2タイプのボディをラインアップする。搭載エンジンは4D55型2346cc直4OHCディーゼルのNAとターボチャージャー付き、G63B型1997cc直4OHCのガソリンユニットという3機種を用意。とくに95ps/18.5kg・mのパワー&トルクを誇るディーゼルターボ車が高い人気を博した。

高性能かつ実用性に富んだSUVへと発展

 SUVという国産車の新ジャンルを開拓したロデオ・ビッグホーンとパジェロ。デビューはロデオ・ビッグホーンが先だったが販売成績はパジェロが終始リードした。パジェロの強面で目立つ外装、豊富な車種ラインアップ、力感のあるディーゼルターボエンジンの設定などが、ユーザーを惹きつけたのである。

 販売シェアを高めるために、いすゞはテコ入れ策を次々と実施していく。まず1984年1月にディーゼルターボ(C223-T型)を搭載したワゴンモデルを発売。同時に、車名を「ビッグホーン」の単独ネームに変更する。1985年6月には、利便性の高い4ドア車をラインアップに加えた。一方で同社は、海外ブランドも活用。1987年10月にドイツのイルムシャー社が足回りをセットしたビッグホーン・イルムシャーをリリースする。さらに1990年1月には、ロータス社が足回りを仕上げたスペシャルエディション・バイ・ロータスを発売した。

 パジェロも負けてはいない。1983年3月にはメタルトップのワゴンを追加。1984年6月にはマイナーチェンジを行い、可変ショックアブソーバーや4輪ディスクブレーキの採用、ディーゼルターボエンジンの出力アップなどを実施する。1985年4月には、クラス初のATを投入した。パジェロの改良はまだまだ続く。1986年5月にはミッドルーフを設定。同時にディーゼルエンジンを4D56型2476cc直4OHCディーゼルターボに変更する。1988年9月には6G72型2972cc・V6OHCガソリンエンジン搭載車の設定や一部仕様におけるリアサスの3リンク/コイル化、4D56型ディーゼルターボにインタークーラーを組み込むなどの変更を行った。さらに三菱はパジェロでパリ〜ダカール・ラリーに積極参戦。その好成績ぶりが市販版パジェロの宣伝材料として大いに使われた。