MX-5ミアータ 【1989,1990,1991,1992,1993,1994,1995,1996,1997】
世界を魅了した愛すべきライトウェイトスポーツ
信頼性やコストパフォーマンスの面で、世界に衝撃を与えた日本車は数多い。しかしクルマ作りの思想や、文化という面で世界に影響を与えた日本車は少数派だ。1989年に登場したマツダのライトウェイトスポーツ、MX-5ミアータ(日本名ユーノス・ロードスター)は、その数少ない少数派の代表である。
MX-5ミアータの開発は「プロジェクト729」という名称で1983年11月にスタートしている。しかし当初は正式な生産を前提としないオフラインのプロジェクトだった。マツダ社内の開発スタッフが自由な立場で近未来のクルマを考えるプロジェクトだったのだ。それだけにファミリアやカペラ、ボンゴといったマツダの基幹車種とはまったく違う価値観で、理想のクルマを考えることが出来た。マツダにはスポーツカーを愛するエンスージアストが多かった。プロジェクト729は、自然とスポーツカー、それもスーパースポーツではなく、通常の生活に刺激と彩りを与えるライトウェイトスポーツの開発プロジェクトへと収斂していく。
プロジェクト729の強力な助っ人は、マツダのアメリカにおける開発拠点MRA(MAZDA RESARCH of AMERIKA)だった。カリフォルニアのアーバインにあるMRAには、日本在住スタッフ以上にスポーツカーを愛するカーガイが揃っていた。プロジェクトがスタートした1983年当時、快適性を求める消費者ニーズの変化と、安全基準の変化によってライトウェイトスポーツ、なかでもオープン2シーターモデルは壊滅状態にあった。しかしMRAスタッフは、新時代の快適性&信頼性を実現できればオープン2シーターに大いなる可能性があることを主張する。MRAの地元であるカリフォルニアは、気候が温暖で、自由な気風に溢れ、なにより世界最大のスポーツカーの消費地でもある。彼らの発言には説得力があった。
オフラインでスタートしたプロジェクト729は、日米のプロトタイプコンペを経て1986年に正式プロジェクトに昇格する。「ドライビングの楽しさを満喫できるオープン2シーターFRスポーツ」を開発コンセプトに掲げ、デザイン、車体、エンジン、シャシーなど、開発に携わる全スタッフが思いをひとつにしたクルマ作りが始まった。
スタイリングはコンパクトサイズながらスポーツカーらしい情緒、力感を感じさせるロングノーズシルエットとされ、エンジンはFFファミリア用を基本に縦置き用に大幅リファイン。足回りには贅沢にも前後ダブルウィッシュボーン式が採用された。さらに独自のPPF(パワープラントフレーム)構造の採用によりオープンモデルとは思えない剛性感も身に付けた。
プロジェクト729は、マツダMX-5ミア-タのネーミングで1989年2月の北米シカゴ・ショーで正式デビューを飾り、5月から北米で市販を開始する。日本市場では同年9月よりユーノス・ロードスターの名で市販された。
MX-5ミア−タは、1960年代のMGや、トライアンフなどと同等の走りの歓びと爽快なオープンエア・フィールを最新の技術に甦らせた傑作だった。多くのクルマが洗練さと引き換えに失った、クルマ本来の楽しさを凝縮した存在といえた。販売は絶好調で、アメリカでは発売と同時にまさにブームを演出。日本や欧州でも、マニアの絶大な支持を受ける。
その存在は、ライバルメーカーにも衝撃をもたらした。多くのフォロワーを生みだしたのである。ポルシェ・ボクスター、BMW・Z3&Z4、メルセデス・ベンツSLK、フィアット・バルケッタ、MGFなどはMX-5ミアータ(ユーノス・ロードスター)なしには誕生しなかったクルマたちである。
MX-5ミアータ(ユーノス・ロードスター)の成功は、多くの示唆を含んでいる。なによりも開発陣の熱意と夢の存在が大きいが、それを実現する世界レベルでの協力体制とマーケティング。そして基本を磨き上げる開発姿勢が成功の大きな要因だ。ワールドワイドなカーガイの夢を、日本ならではの発想力と高い技術で実現したからこそ、世界じゅうで愛されるクルマとなったのである。