日産・新聞広告1970〜1972 【1970,1971,1972】

刺激的だったサニー1200、そしてイメージの時代へ

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ライバルを強烈に意識したサニー

 1970年代の新聞広告は、2代目サニーの鮮烈なキャチコピーでスタートする。従来の1000から1200へとエンジン排気量を拡大し、それに応じてボディを大型化したサニーの強い意気込みを明文化した「隣りのクルマが小さくみえます」というコピーは瞬く間に流行語となった。“「遠慮しながらの5人乗り」がいままでの常識でした。サニー1200なら大人5人がのびのびとくつろげる室内。広さも豪華さも抜群です”という説明文と、アヒルを抱いた子供が後席に座るビジュアルは強い印象を見る者に与えた。これほど新型車の魅力を簡潔かつ的確に表現したケースはそれまでなかった。サニー1200の広告は歴史に残る傑作と言えた。

 しかし同時にライバルに対する優位性をアピールする「隣りのクルマ〜」のキャッチコピーは、物議をかもす。隣りのクルマ、という言葉が最大のライバルであるカローラを意味することは明らかだったからだ。初代モデルのサニー1000は、遅れて登場したカローラ1100の“プラス100ccのゆとり”という広告に苦汁を飲まされた経緯があり、サニー1200の広告はそのリベンジだったのである。1970年当時まだまだクルマはステータスシンボル。他人よりいいクルマ、大きなクルマに乗ることが多くの人の憧れになっていた。サニー1200のキャッチコピーに込めた本当の意味は「隣りのカローラが小さく見えます」。カローラよりサニーのほうが立派に見えるという宣言だったのである。

チェリーの巧みなティザーキャンペーン

 1970年10月にデビューしたチェリーの宣伝手法もユニークだった。デビューに先立ち7月から9月に計4回の「超えてる新車(情報シリーズ)」を展開。「うわさの噂のX-1この秋発売!」、「あなたの想像を、きっと超えてるチェリー」というキャッチコピーでブランニューモデルの登場を告知したのだ。広告の一部には覆面状態での走行風景を掲載し、「覆面走行440万キロ。まもなく完了。」と説明。新型車が高い信頼性の持ち主であることを訴求することも忘れていない。

 発表後には「登場シリーズ」(11月まで計5回)にステージを移行し、「にくい奴です。超えてるチェリー」「乗った、感じた、超えてるチェリー」など波状的にチェリーの斬新さと魅力を紹介する広告を展開した。チェリーの一連の広告手法は、正式発表前から意識的に情報をリークしてユーザーの期待を高める“ティザーキャンペーン”の先駆け。ティザーキャンペーンを日本に根付かせたのはチェリーの功績である。

イメージ主体で新世界を構築したスカイライン

 サニー1200やチェリーはクルマそのものを主役にした広告展開だが、クルマをむしろ脇役としてイメージ主導の斬新な広告をスタートさせたのもこの頃だった。最も成功した例はスカイライン。“愛のスカイライン”を基本に「春を先取りします」「秋を気取って乗りませんか」など四季をおりこんだキャンペーンである。時代の流れが“モーレツからビューティフルに”移行しつつあった1970年という時代の空気間を見事に読んだ広告展開だった。

 環境問題に対する関心が高まったのも特徴で、「日本の緑が待っている…」というキャッチコピーとともに無公害エンジン開発についての広告を展開したのは東京の牛込柳町でクルマの排気ガスに含まれる鉛汚染問題が起こった1970年の10月。この広告に先立ち3月には「きれいな空気を守るために」、6月には「人とクルマの調和をめざす」という1ページの全面広告を展開している。クルマを社会の悪としないために真摯に取り組む日産の姿勢は大きな共感を生んだ。時代の要請を受けクルマ自体の広告手法も変化が現れはじめ、従来の性能中心から、じょうずな乗り方を重視するキャッチフレーズが見られるようになってくる。「ゆっくり走ろう。ゆっくり生きよう。」というローレルの広告はその典型と言えた。