スズキデザイン3 【1976~1983】

軽自動車の全面刷新と小型車のグローバル造形

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新規格ボディのフロンテ・クーペ後継車デビュー!

 1976年1月に運輸省(現・国土交通省)は、エンジンの排出ガス規制の影響による出力低下の是正と、交通死亡事故の削減を目指して軽自動車の規格改定を施行する。エンジン排気量は従来の360ccから550ccに拡大。ボディサイズは全長3000×全幅1300×全高2000mmから同3200×1400×2000mmに変更した。この改定に合わせて、軽トップメーカーの鈴木自動車工業は段階的に軽自動車のモデルチェンジを実施した。車両デザインに関しても、市場動向を踏まえた大胆な刷新を図っていった。

 1977年10月には、フロンテ・クーペの後継モデルとなる軽スペシャルティの「セルボ」を市場に放つ。搭載エンジンには排出ガス対策を施したT5A型539cc・2サイクル3気筒ユニットを採用。車両デザインに関してはガラスタイプのハッチゲートを組み込んだ2ドアクーペスタイルで構築した。セルボはボディサイズを新規格に合わせた効果で、前身となったフロンテ・クーペと比較して車幅とトレッドが広がり、安定感が増していた。ほかにも、彫りの深いブラックマスクや角型のフォグランプ、大型の前後バンパー、フロントグリル上端からリアへと一直線に伸びたサイドのキャラクターラインなどが個性を主張する。内装についてはスポーティ感のなかにファッショナブル性を加えたことが特徴で、とくにファブリックのシート表地には赤&黒チェック/白&黒チェック/ベージュという鮮やかなカラーリングを施していた。

ハッチゲートを備えた“軽ボンバン”のデビュー

 規格改定によって鈴木自工の軽自動車は再びユーザーの注目を集めるようになり、低迷していた販売台数も回復軌道に乗り始める。好調の流れは、1979年5月に登場した画期的なモデルによって、決定的になった。車両価格は47万円、維持費も商用車のバン扱いで安く収まる「アルト」がリリースされたのだ。

 アルトは鈴木自工の卓越した市場調査と優れたコスト管理を背景に誕生したモデルだった。まず市場調査では、郊外および地方において気軽な移動手段となる軽のセカンドカー需要が多いことを確認。同時にこれらの層は2名未満での乗車が多く、かつ華美な装飾よりも安価な車両価格で実用性が高いクルマを求めている事実を割り出す。この調査結果を得た鈴木自工の開発陣は、乗用に使えるバンモデルの軽自動車の企画を立案。次期型のフロンテをベースに徹底した装備の簡素化を図った。車両デザインは実用性の高いハッチバック型を採用し、装備は思い切って簡略化した。アルトは、とにかく経済性に優れたクルマが欲しいというユーザーにとって格好の1台となる。結果的にアルトは軽自動車の新たな潜在需要を掘り起こし、軽ボンネットバン=“軽ボンバン”として大ヒットモデルに成長した。

4WDオフローダー、ジムニーの刷新

 1981年5月になると軽4×4のジムニーが全面改良を実施する。2代目となるSJ30系デザインの特徴は、従来のミリタリー調からボクシーでスマートなRV色の強いフォルムへと一新した点にあった。これは日本のみならず輸出先の市場動向を踏まえた結果。4×4モデルを求めるユーザーは、実用性に加えて乗用車的な機能やスタイリッシュさを求めていたのである。

 2代目ジムニーは、従来型と同様に幌タイプとバンの2ボディを設定する。密閉性や脱着性を向上させた幌タイプでは、キャンバスドア/ハーフメタルドア/フルメタルドアの3タイプから選択できた。室内も近代化され、レバー調整式の空調スイッチや大型のグローブボックスなどが備えられる。エンジンはLJ50型539cc・2サイクル3気筒ユニットを搭載。トレッドを広げるなどしてワイドボディ化した輸出仕様のSJ410系では、F10A型970cc直4OHCエンジンを採用した。

GMの要望を取り入れたハッチバックスタイルの誕生

 軽自動車市場でシェアを伸ばす一方、鈴木自工は小型乗用車市場への再参入や新たな海外進出も画策する。とはいえ、鈴木自工一社の力だけでは、資金面でも技術面でも心許ない。そこで首脳陣は、世界最大の自動車メーカーであるGMとタッグを組むことを決断し、1981年に業務提携を正式発表した。

 最初のプロジェクトは、両社の念願である小型乗用車の開発だった。エンジンやシャシーなどのメカニズム関連は鈴木自工が設計し、内外装のアレンジはGMが主導する。もともと鈴木自工は1970年代後半から小型乗用車の企画を立案していたため、そのノウハウは十分に持ち合わせていた。そこにワールドワイドカーとしてのGMの意見を取り入れ、開発は順調に進んだ。

 車両デザインについては、直線基調のボクシーなフォルムで仕立てた3ドアハッチバックに決定。3ドアに絞ったのは、米国での市場動向を考慮したためだ。インテリアはデジタルメーターを採用した点が特徴で、これもアメリカ人の好みを反映した結果だった。1983年9月、鈴木自工初の量産リッターカーとなる「カルタス」が発表される。1984年8月にはホイールベースを100mm延長した5ドアハッチバックをラインアップに加えた。