740 【1984,1985,1986,1987,1988,1989,1990,1991,1992】

1980年代を象徴する上質で質実剛健なセダン&ワゴン

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1980年代に向けた新世代ミディアム車の開発

 240シリーズの成功によって勢いに乗る1970年代後半のボルボは、安全実験車VESC(Volvo Experimental Safety Car)をベースにした新たな車両デザインを模索する。チーフデザイナーのヤン・ウィルスゴードとその設計チームが提案したスケッチは約20種類。このうち8種類が選ばれ、1976年には原寸のクレイモデルが製作された。そして、次の段階では2種類に絞り、ここから量産に向けた最終案を導き出す。基本造形は、スロープのついたフロントビュー、大型のウィンドウグラフィック、前端に対して相対的に高めたリアセクションおよびまっすぐに伸びたリアガラスなどで構成。空力性能を確かめるために、クレイモデルによる風洞実験も行った。

 完成した最終デザインは、欧米などで一般ユーザーによるクリニックを実施し、その意見を活かしながら微修正が施される。1970年代終盤には走行が可能なテスト車両が完成。歴代モデルと同様に欧州やアメリカ、オーストラリアなどで徹底したテストを敢行した。
 ボルボは車種ラインアップに関しても新戦略を打ち出す。プラットフォームやシャシーなどのコンポーネントを共用する上級モデルとスタンダードモデル、具体的にはメインとなるガソリンエンジンの搭載をV6ユニットと直4ユニットに分けて、車種設定を拡充しようとしたのだ。また、内外装の差異化も計画し、上級モデルはよりラグジュアリーに、240の実質的な後継となるスタンダードモデルは実用重視のベーシックな仕様に仕立てることとした。

「740」の車名を冠して市場デビュー

 1980年代に向けたボルボの新世代モデルは、まずV6エンジンを搭載する上級バージョンが「760」の車名で1982年2月にデビューする。そして1984年初頭には、ここでピックアップするスタンダードモデルの「740」が登場した。ちなみに、車名の740の4は4気筒ガソリンエンジンの搭載を意味。760の6は6気筒ガソリンエンジンの搭載を表していた。

 740のボディは基本的に760と共通で、前後クランプルゾーンや鋼鉄製のケージ構造、最新の防錆処理などを取り入れた最新のスチールモノコックボディを採用する。ボディタイプは当初が4ドアセダンのみの設定で、1985年には5ドアワゴンのエステートを追加した。ホイールベースは2ボディともに2770mmに設定。懸架機構はフロントにマクファーソンストラット/コイルを、リアに5リンクコンスタントトラック/コイルをセットし、前後にアンチロールバーを組み込む。操舵機構にはコラプシブルステアリングを配したラック&ピニオン式を採用。制動機構にはダブルトライアングル式2系統システムの前後ディスクブレーキを備え、先進のABSも設定した。

 搭載エンジンは、デビュー当初の本国モデルの740GLEにガソリンユニットのB23型2316cc直列4気筒OHC(129ps)を採用。輸出モデルにはB19型1986cc直列4気筒OHC(117ps)やB19ET型1986cc直列4気筒OHCターボ(145ps)、D24型2383cc直列6気筒OHCディーゼル(82ps)などを設定する。駆動レイアウトはオーソドックスなFR。トランスミッションにはM46型4速MTやM47型5速MT、AW71型4速ATなどを組み合わせた。

スタイルはクリーンで質実剛健。ボルボらしいイメージを投影

 チーフデザイナーのヤン・ウィルスゴードが主導した740の車両デザインは、スラントしたノーズにスクエア基調のボディライン、下端を低めに設定した広いガラスエリアなどが訴求点となる。ボディサイズは全長4785×全幅1755×全高1435mm(セダン)と、240シリーズとそれほど大差のないディメンションだったが、確実に740のほうが格上に見えた。上級モデルの760との違いは、シンプル仕上げのグリルやサイドトリム&ドアノブ、スチールホイールなどが識別点。このアレンジも、実用性や道具感を重視するユーザーにはむしろ好まれた。

 エステートについては重量軽減や開閉の利便性などを狙ってリアゲートにアルミ材を採用。240から一段とグレードアップしていた。インテリアは、スクエアボディの効果による広いキャビンおよびラゲッジスペースを実現したうえで、人間工学の研究グループが研鑽を重ねて開発したシートや操作性および視認性に優れた新設計のインパネなどを採用する。荷室スペースはセダンが475L、エステートが後席使用時1110L/後席格納時2120Lの大容量を確保していた。

車種ラインアップの拡充と緻密な改良

 車両価格を240と760の中間に設定し、しかも上級モデルと同等の居住空間と乗り心地を有した740は、たちまちユーザーから大好評を博し、世界市場で販売台数を伸ばしていく。この人気をさらに高めようと、開発チームは精力的に740の改良を図っていった。

 1985年には、B19およびB23エンジンを進化版のB200およびB230へとブラッシュアップ。さらに、B230ET型2316cc直列4気筒OHCインタークーラーターボエンジン(177ps)を搭載したスポーティ指向のターボ・グレードを追加設定する。ほかにも、買い得感の高いGLグレードの設定やラムダゾンドと称する三元触媒の設定、8年間の防錆保障の付帯などを実施した。1986年になると、D24T型2383cc直列6気筒OHCターボディーゼルエンジン(109ps)を採用する。また、新造形のホイールや幅広メッシュグリルの装着なども行った。1987年には、後退灯の変更やラミネートされたリアウィンドウの装備などを実施。D24T型ディーゼルターボにはインタークーラーが組み込まれ、最高出力は122psに増大した。

1989年モデルでフェイスリフトを実施

 1989年モデルではフェイスリフトを実施し、フロントグリルやヘッドランプ、リアコンビネーションランプ、アルミホイールなどの造形を刷新。ボディラインもやや丸みを帯びた形状に変わり、新鮮味をアップさせる。さらに、新エンジンとしてB234型2316cc直列4気筒DOHC16Vユニット(159ps)を設定した。1気筒当たり4バルブのヘッド機構を組み込み、センタープラグ配置のペントルーフ形状燃焼室に仕立てたB234型は、従来エンジンにはない高回転域でのパワーの伸びとスムーズな回転フィールを実現。また、不快な振動を打ち消す目的でバランスシャフト(三菱自動車に使用権を支払って装着)も組み込んだ。ちなみに、この年からストレッチ版(全長5600mm)の740も少数造られ、送迎タクシーやレンタカーとして使用された。

 1990年には740の発展版となる940シリーズが登場する。しかしベーシックな740も車種ラインアップを縮小しながら継続して販売される。そして、1992年には740の生産を中止して940に完全移行。トータルでの740の生産台数はセダンが65万443台、エステートが35万8952台を数えた。

ボルボ車としては短めの約8年の車歴だったが……

 ボルボブランドのクルマとしては比較的短めの8年あまりの車歴で終わった740シリーズ。しかし、その存在価値は輸出市場、とくに日本マーケットで一際輝いた。
 日本ではボルボ車の注目度、とくに740エステートの人気が1980年代後半から急速に高まり、販売台数も大いに伸びる。背景には日本におけるRV人気の上昇、さらには後にバブルと呼ばれる好景気下での高価格輸入車の需要増などがあった。日本は今後、いっそう重要なマーケットに成長すると判断したボルボは、1986年に帝人ボルボから輸入権を譲り受け、本国直轄のインポーターとなるボルボ・ジャパンを設立(1991年よりボルボ・カーズ・ジャパンに改称)。車種設定や販売の拡充にいっそうの力を入れることとなった。

 もうひとつ、740シリーズが注目を集めるマーケットがあった。いわゆるユーズドカー市場だ。高い品質とボディの耐久性、そして1990年代に入っても色褪せることがなかったスクエアなスタイリングや使い勝手のよさが、中古車になっても高い人気を維持し続けたのである。
 後に受け継がれるボルボブランドのイメージ、すなわち安全性が高くて長寿命、しかも飽きのこない内外装デザインという特徴を、身をもって示した740シリーズ。まさにスカンジナビアン・プロダクツの傑作といえる名車である。