プレマシー 【1999,2000,2001,2002,2003,2004,2005】

アイデア満載。新発想コンパクト・ミニバン

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マツダの新発想、コンパクト・ミニバン

 マツダ・プラマシーは、“小さなクルマの得意と、大きなクルマの余裕をひとつにした”新発想ミニバンだった。初代モデルが誕生した1999年当時、ミニバン市場は、ホンダ・オデッセイやトヨタ・イプサムなどが人気モデルだった。定員7名の3列シートを備えるためボディサイズは大柄で、日常使用、とくに平日は奥様が運転するユーザーからは、コンパクトサイズのミニバンが欲しいという声が上がった。

 室内に3列シートを備えるには、ある程度のスペースがどうしても必要になる。コンパクトサイズのミニバン、というユーザーのニーズを満たすには、高度なパケージング手法の工夫を必要とした。この難しい命題に積極的に挑戦したのがマツダだった。マツダ開発陣はファミリアをベースに世界最小クラスの3列シート・ミニバン・パッケージを成立させ、1999年4月にプレマシーのネーミングでデビューさせた。

室内はアイデア満載、アレンジ自在!

 プレマシーのボディサイズは全長4295mm、全幅1695mm、全高1570mmの5ナンバーサイズ。狭い道や限られた駐車スペースでも持て余す心配のない設定になっていた。スタイリングは軽快な5ドアハッチバック。とても室内に3列シートを備えているとは思えないほどスタイリッシュだった。

 プレマシーが広い室内空間を実現できた理由は、低いフロア高と高さを十分に採った全高にあった。マツダは1996年に登場させた5ドアのミニワゴン、初代デミオによって、限られたサイズの中で広い室内空間を得るコツを習得していた。プレマシーではその経験がフルに生きていた。プレマシー3列シート仕様の室内サイズは、長さ2380mm、幅1450mm、高さ1210mm。一般的な2列シート仕様も設定していたが、プレマシーらしい個性が満載されていたのは3列シート仕様だった。

 プレマシーの価値は、単に3列シート仕様にするのではなく、ユーザーが使いやすい工夫を各部に施した点にあった。3列シートは未使用時に折り畳んで荷室を拡大できるだけでなく、取り外しも可能。2列目シートには120mmのスライド機構を備え、足元空間の調節ができた。それだけではない。2−3列目のシートショルダー部を取り外してリクライニングさせると、大人ふたりが車中泊できるフラットな空間が出現。さらに助手席と、2列目シートバックを倒すとテーブルとして使えた。プレマシーの室内は、7人が乗れるだけでなく、ライフシーンに応じて、さまざまに変化するフリー空間だった。ちなみ車高を十分に採った利点は荷室にも現れており、2列目シートを格納すれば自転車が2台、前輪を外すことなく積み込めた。

FFとフルタイム4WDを全車に設定

 バリエーションはシンプルで、エンジンは1839ccの直列4気筒DOHC16V(135ps/16.5kg・m)の1種。トランスミッションはコラムシフト式の電子制御4速ATが組み合わされた。駆動方式はFFと4WDの2種。グレード構成は、標準車を基本にラグジュアリー指向のGパッケージと、スポーティ指向のスポーツ・パッケージはFF仕様に設定していた。定員7名の3列シート仕様と、定員5名の2列シート仕様は全モデルで選べた。

 足回りは4輪ストラット式。ダンパーには微低速バルブが付き、低速域のしなやかな乗り心地と、しっかりとした高速走行を両立する。ちなみに4WDシステムは、前輪のスリップを検知してから後輪に駆動力を配分するオンディマンド式ではなく、プラネタリーギア式センターデフとビスカスLSDを組み合わせた本格的なフルタイム方式。通常の前後駆動力配分50対50を、走行状況に応じて適切に調節するシステムだった。

 初代プレマシーは、その使いやすさとユーティリティで安定した販売セールスをマークする。市場を席巻するほどのインパクトこそなかったが、マツダの隠れた実力車としてユーザーから評価を得た。

広い室内空間を生かし車椅子送迎車を設定

 初代プレマシーの広い室内空間はさまざまなメリットをもたらした。車椅子送迎車の設定もその一例である。2001年1月にラインアップに加わった超低床車椅子送迎車は、車両後部の乗降口に装備した格納式スロープを利用することで、車椅子のままで乗降できる超低床設計が特徴だった。車椅子を搭載した状態でも車椅子の乗員1名を含め、乗員5名が乗車でき、3列目シート装着状態では定員6名を実現していた。2列目シートはセパレートタイプで、2列目シートの乗員が車椅子乗員の介護がしやすいようになっていた。

 この車椅子送迎車は第34回東京モーターショーに市販予定車として出品していたモデルで、製造はマツダの関連会社であるマツダ産業が担当。エンジンなどのスペックはベースモデルと共通だった。