ファミリア 【1964,1965,1966,1967】

優れた設計の傑作ファミリーカー

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話題を呼んだプロトタイプが出発点

 1962年の東京モーターショーに、「マツダ1000プロトタイプ」と名付けられた4ドアセダンのショーモデルが展示された。このプロトタイプこそ、2年後の1964年にデビューする「ファミリア」の直接的なルーツだった。マツダ1000は、実際に走行が可能なランニングプロトタイプで、水冷直列4気筒OHVの排気量977ccエンジンをフロントに搭載、4速フルシンクロメッシュのギアボックスを介して後輪を駆動した。

 スタイルは後のファミリアによく似た、当時流行していたコルヴェアスタイルと呼ばれる、クロームのモールディングがボディの外側をぐるりと取り巻いている特徴的なもの。その完成度の高さから、マツダ製乗用車の登場は時間の問題か?と話題になった。

まずはバンモデルが先陣を切った

 ファミリアは、いきなり4ドアセダンから登場したわけではなかった。最初にデビューしたのは1963年に発売された「ファミリア800バン」だった。小型乗用車のマーケットでは後発となったマツダは、まず商用車のライトバンで市場の反応を確かめ、その上でセダンの発売に踏み切ると言う慎重な手段を選んだ。ライトバンは、当時の日本では自動車マーケットの中心的な存在となっていた。

 ファミリア800バンに搭載されたSA型エンジンは、モーターショーに展示されたファミリア1000のものと基本的には同じ設計だったが、排気量は782ccに縮小されていた。その理由は定かではない。恐らく多くのライバルたちとの直接的なバッティングを避けたためだと思われる。エンジンは軽自動車の「キャロル」などで経験を積んでいた総軽合金製で、技術的には最先端を行くものとなっていた。

 最高出力は42ps/6000rpm、トルクは6.0kg-m/3200rpmで、バンは400kgの荷物を積むことができた。最高速度は105km/hと、実用上は十分なレベル。価格は43万8000円。軽自動車より若干高いレベルに収まっていた。ファミリア800バンは、スタイルの良さや価格の安さが人気を集め、マツダの本格的な小型車進出の先兵として成功を収めた。

マツダ初の本格乗用車の登場

 800バンの発売に遅れること1年の1964年10月、マツダとしては初めての本格的な小型乗用車となる「ファミリア・セダン」が発売された。基本的にはバンの主要コンポーネンツを流用、5人乗りの4ドアセダンのボディを組み合せたモデルだ。バンと同じく、排気量782ccのSA型直列4気筒OHVエンジンをフロントに縦置きして、4速型フルシンクロメッシュトランスミッションを介して後2輪を駆動する。
 
 サスペンションは前がダブルウィッシュボーン/コイルスプリング、後は半楕円リーフスプリングで固定軸を吊るという、オーソドックスなもの。ブレーキは4輪ドラムでサーボ機構は持たない。室内の広さもこのクラスとしては標準的なものだった。

矢継ぎ早のモデル追加で生産を拡大

 ファミリアのラインアップ充実は急ピッチで進んだ。4ドアのファミリア800セダン発売の翌月となる1964年11月に2ドアモデルを発売。その翌月の12月にはトラックが誕生する。1963年10月の800バン、1964年4月のワゴンを含め、わずか1年2カ月の間に、5つのボディタイプが登場しているのは注目に値する。

 ファミリアのバリエーションの拡大は、その後も続き、1965年4月には、トルクコンバーター式ATを追加。最高出力を52psに高めたスポーツ仕様のファミリアSは、1965年10月にデビューする。翌11月には、クーペ1000が登場。1967年1月には、4ドア/2ドア/バンの1000ccモデルを発売した。この間、1964年12月には初代ファミリア・シリーズは月産1万台を突破。1966年2月には生産累計20万台を達成している。

モータースポーツへの積極的な挑戦

 初代ファミリアは、マツダにとっての本格的な輸出の担い手という使命も持っていた。その高い性能を実証するため、海外のレースに多く参戦している。発売の翌年の11月には、いち早く快挙を成し遂げる。オーストラリア・ニューサウスウェールズ州での耐久レースに参戦。見事、クラス優勝を果たしたのだ。1966年には、シンガポールGP、マカオGPに参戦し、どちらもクラス優勝をもぎ取る。その後も好成績を残し、のちのロータリー・エンジン搭載車によるヨーロッパレース挑戦への布石となった。