セドリック 【1965,1966,1967,1968,1969,1970,1971】

ピニンファリーナがデザインした流麗フラッグシップ



クラウンと人気を二分した2代目高級サルーン

 1965年10月、日産自動車は2リッタークラスの高級車であるセドリックの2世代目を発表した。セドリックは、英国オースチン社と結んだ技術提携が1960年3月に契約切れとなり、生産を中止したオースチンA50に代わる高級車として1960年3月に登場した高級サルーン。セドリック(Cedric)の名は、童話「小公子」の主人公の名にちなむもの。同社の「ブルーバード」、「フェアレディ」などとともに、当時日産の社長であった川又克二氏の選定による。

 1960年にデビューした初代のセドリックは、4灯式ヘッドライトを縦位置に配していたため「縦目のセドリック」として親しまれた。1963年2月に2.8リッターの直列6気筒エンジン搭載モデルを加え、ヘッドライトも横置き4灯式とするなどモデルバリエーションの拡充とメカニズムのグレードアップを加えながらトヨタ・クラウンと日本の高級車市場を2分する存在となっていた。

ピニンファリーナが手掛けた流麗なスタイリング

 新型となった2世代目セドリックの最大の特徴は、スタイリングデザインが1963年9月に発表された410型ブルーバードと同様にイタリアン・カロッツェリアの第一人者であったピニンファリーナの手によるものであることだった。

 カタログでは「世界の主流をゆくフローイングライン。クルマが走行する時に巻きおこり、直面するあらゆる種類の“風の流れ”にムダな面、みにくい個所をすべて削らせました。そしてその中から、最も美しく理にかなった線をひとつ、とりだしたのです。」と表現し、風が磨いたニューデザインであることを主張した。2代目セドリックのスタイリングは垢抜けており、しかも伸びやかだった。アメリカ車に範を取ったライバルのクラウンとは別種の趣があり、全体的に上品な印象を見る者に与えたのである。

全47タイプのワイドバリエーション

 ボディ構造は、スチール製のフルモノコックで、寸法的には従来型より一回り大型化されていた。ホイールベースは2690mmと130mm延長され、全長は4680mmと90mm長く、全高は1445mmと60mm低くなっている。ただし全幅は1690mmと変わらない。すでに5ナンバー規格ぎりぎりだったこともあるが、街中での取り回しの容易さを狙った結果だ。

 インテリアは当時の国産車とは思えない垢ぬけしたもので、逆八の字型にレイアウトされたメーター類と横置き型の速度計が大型のクラスターに収められ、シートもベンチ式のほかにセパレート型が装備可能となるなど、スポーティーな装備も特徴だった。

 ボディバリエーションは4ドアセダンと5ドアワゴンの2種でグレードや細かな仕様違いで合計47車型があった。フォーマルユースを主体としていたため、パーソナル指向の2ドアモデルは存在しない。

完全新設計のL20型直列6気筒を新採用

 搭載されるエンジンは従来の2.8リッター・エンジンを搭載したセドリック・スペシャルに代わって登場したスペシャルシックス用を含めて3種があり、全て2リッターとなった。デラックスとワゴンに搭載される最もベーシックなエンジンは排気量1982ccの直列4気筒OHVで92ps/4800rpm、カスタムおよびシックス系に搭載される排気量1973ccの直列6気筒OHVは100ps/5200rpmをマークした。

 完全新設計となるスペシャルシックス用のL20型、1998cc直列6気筒SOHCのスペックは115ps/5200rpm。ボディサイズを含めて、セドリックは全て5ナンバーとなったわけだ。これには、1965年10月に登場した大型乗用車であるプレジデントとの棲み分けという戦略も在ったと伝えられる。トランスミッションはフルシンクロメッシュ機構を持つ3速および4速のマニュアル型とボルグワーナー製3速オートマチックの3種(一部車種はオプション設定)があった。
 2代目セドリックは、クラウンと熾烈なシェア争いを繰り広げる。ユーザーにデザインが受け入れられず、販売台数ではクラウンにリードされるが、クルマとしての実力は拮抗していた。