500スーパーDX 【1961,1962】
594ccエンジンを搭載した大幅改良モデル
1961年8月に三菱500のラインアップに追加されたスーパーデラックスは、装備が充実したモデルではなく“エンジン”が贅沢なモデルだった。車名こそ500を名乗ったが、排気量594ccのNE35A型・空冷2気筒エンジンを搭載。本来は600スーパーデラックスと名乗るのが自然なグレードだった。スーパーデラックスの最高出力と最大トルクは25ps/4800rpm、4.2kg・m/3400rpm。500の標準車用493ccユニットと比較し最高出力は4psパワフル、トルクは0.8kg・mも太かった。最高速度は10km/h増しの100km/hをマークした。
500は1955年に通産省が提案した国民車構想に対する三菱の回答だった。開発・生産を担当したのは当時の新三菱重工・名古屋製作所である。当初は軽自動車規格を想定したが、それでは求める走行性能と室内の広さを獲得するのが難しく、結局はコンパクトな小型車としてまとめられた。当時の代表的な大衆車ルノー4CVやVWビートル、そしてスバル360などと同様のリアエンジン・リアドライブのRR方式を採用し、ボディは先進的なモノコック構造だった。サスペンションはストロークをたっぷりと取った前後トレーリングアーム式を組み合わせる。設計にあたってはドイツのゴッゴモビルが参考にされた。
スタイリングや室内はシンプルなデザイン。できるだけ低価格で提供することも開発目標に掲げられていたため、豪華な装備や演出はいっさいなかった。
戦前から三菱の高い技術力には定評があった。そのため500にユーザーは大きな期待を抱いていた。500は1960年4月に正式デビューを飾る。価格は39万円だった。
500の販売は予想に反して伸び悩む。500は当時としてはよく出来たクルマだった。加速はなかなか鋭く、乗り心地は良好。コンパクトなボディの割には室内も広かった。しかし、すでに軽自動車として発売され高い評判を獲得していたスバル360と比較して機能面のアドバンテージは僅かだった。しかも三菱500の乗車定員は4名、軽自動車と同等だった。500は小型車規格のため自動車税がスバル360と比較して数段高かった。その差額を正統化するほどには500の性能は圧倒的ではなかったのである。
シンプルな内外装も、当時のユーザーが小型車に求める豊かさや、乗用車的な味わいとは無縁だった。合理的でプレーンな造形ではあったものの、ユーザーが憧れていた小型車、たとえばアメリカ車を上手にダウンサイジングした印象の初代ダットサン・ブルーバードとは似ても似つかなかった。当時乗用車は憧れの存在である。憧れと呼ぶには三菱500は、あまりに実質的だった。
スーパーデラックスは、三菱500の弱点を可能な範囲で修正したリニューアルモデルだった。前述のようにエンジン排気量を拡大し、走行性能をアップ。乗車定員もシート形状の見直しなどで5名に変更していた。ボディ各部も立派になっていた。ヘッドランプ周囲と前後バンパーがクロームメッキ仕上げとなり、ホイールキャップを追加。さらにサイドウインカーランプがフロントに加えられ、フロントマスクの形状もリファインされた。
だが肝心のボディデザインは基本的にそのまま。グレード追加なのだから仕方ない面はあったが、スーパーデラックスでも商品力という点では万全ではなかった。スーパーデラックスの価格は40万9000円。内容を考えると値上がり額は最小限で、お買い得感はぐっと高まった。それでも販売成績を抜本的に解決するまでには至らなかった。三菱500の劣勢は、トヨタからパブリカが発売されると、いよいよ明らかになる。下からはスバル360、同クラスではパブリカという商品力の高いライバルとの戦いに、残念ながら三菱500は勝てなかった。
三菱の対応は素早かった。早々に三菱500をあきらめ、1962年7月に「観ただけで乗りたくなるクルマ」を開発テーマにしたコルト600を送り出したのだ。コルト600は、メカニズム的には500スーパーデラックスをベースにしていたが、内外装を一新。スタイリッシュで立派に仕上げたコンパクトカーだった。500スーパーデラックスは、ある意味で、コルト600のメカニズム検証用プロトタイプという意味合いがあったのかもしれない。