プロシード・レバンテ 【1997,1998,1999】

“リアルクロカン”を謳った2代目エスクードのマツダ版

会員登録(無料)でより詳しい情報を
ご覧いただけます →コチラ


1997年、ベース車の全面改良に則して2代目に移行

 マツダは1987年12月にスズキとの生産協力および相互OEM供給を締結して以来、その関係を着実に深化、拡大させていった。当初、マツダがOEM供給を受けたのは軽自動車が中心で、スクラム(スズキ・エブリイ/キャリイ)やAZ-ワゴン(スズキ・ワゴンR)をリリースする。そして1995年2月なると、マツダのラインアップで手薄だったクロカン4WD車でもOEM供給を受け、スズキ・エスクードをベースとするマツダ「プロシード・レバンテ」を発売した。ちなみに、エスクードおよびプロシード・レバンテの搭載エンジンの1機種にはマツダ製のRF型1998cc直4OHCディーゼルターボが採用されていた。

 スズキのエスクードは1997年11月になると、フルモデルチェンジを実施して2代目に切り替わる。必然的にマツダのプロシード・レバンテも第2世代に移行。発売は、2代目エスクードのデビューから2週間ほど遅れて(11月20日)行われた。

キャッチフレーズは“リアルクロカン”

 2代目プロシード・レバンテは、キャッチフレーズに“リアルクロカン”を掲げる。新設計の基本骨格や駆動メカニズムなど本格的なクロスカントリー性能を有し、乗用車指向だったライバル車のトヨタRAV4やホンダCR-Vとは一線を画している点を強調した。

 基本骨格は、新設計のラダーフレームに高張力鋼板を多用した高剛性ボディを架装し、頑強かつ軽量な構造に仕立てる。ボディタイプは5ドアと3ドアの2タイプを設定。また、Aピラーからルーフ中央部に衝撃吸収構造を、ピラートリム内に衝撃吸収材を、ドア内部にサイドインパクトバーを採用するなどして衝突安全性を高めた。懸架機構については、フロントに改良版のマクファーソンストラット式コイルスプリングを、リアに大幅な設計変更を施した5リンク式コイルスプリングを採用する。オフロード走行を踏まえて、最低地上高は195mmを確保した。一方、ステアリング機構には新しいラック&ピニオンを導入し、操舵性の向上や剛性感のアップを図る。パワーステアリングのアシスト能力を高めて、オフロード走行でのキックバックを抑えたことも新型の特長だった。

 縦置きに搭載するエンジンは、従来の改良版であるJ20A型(1995cc直4DOHC16V)の1機種に絞る。組み合わせるトランスミッションは電子制御式4速ATのみ。駆動機構には“ドライブセレクト4×4”と称するパートタイム4WDをセットした。
 エクステリアについては、全体的に丸みを持たせた躍動感あふれる個性的なスタイルを採用する。また、新マツダエンブレムと専用デザインの車名バッジを貼付して、エスクードとの差異化を図った。ボディサイズは2ボディともに5ナンバー規格に収め、加えてハンドルの切れ角を大きくとることで優れた取り回し性を確保する。さらに、オフロード走行を重視して32度のアプローチアングルと29度のディパーチャーアングルを確保した。

 インテリアは、コイルスプリングを新採用したフロントシートやリクライニング機構を内蔵したリアシート、20カ所以上の豊富な収納スペース、抗菌処理を施したステアリングホイール/シフトノブ/パーキングブレーキレバー/ドアハンドル、エアフィルター付きのエアコンなどを採用して快適性と機能性を向上させたことがアピールポイントとなる。また、シート&ドアトリムのカラーリングは5ドアがベージュ系、3ドアがグレー系で仕立てていた。

2.5L・V6ガソリン車と2L ディーゼルターボを追加

 5ドア車がJZとJMの2グレード、3ドア車がJMの1グレード、計3グレードでスタートした2代目プロシード・レバンテは、1998年3月になると一気に2グレードをラインアップに加える。H25A型2493cc・V6DOHCエンジンを搭載した2500 V6とRF型1998cc直4ディーゼルターボエンジンを積んだ2000ディーゼルターボが登場したのだ。

 2車種ともにボディタイプは5ドアだが、新たに専用のオーバーフェンダーや235/60R16サイズのタイヤを装着してボディ幅を1780mmの3ナンバー規格とする。また、外装ではハニカムタイプの専用フロントグリルにマツダエンブレム付きメッキマーク、異形3本スポークタイプのアルミホイール、2種類のツートンボディカラー(スキューバブルーメタリック&シルキーシルバーメタリック/グローブグリーンパール&シルキーシルバーメタリック)を、内装では本革巻きステアリング&シフトノブや木目調フロアコンソールパネルなどを採用し、上級感と存在感を引き上げていた。

 スズキとタッグを組んでクロカン4WD車の需要に応えた1990年代後半のマツダ。しかし、そのプロジェクトは1999年になって終焉を迎える。マツダの提携先であるフォードとの新エンジンシリーズ共同開発および分業生産を行う旨が発表され、その具体的な車種としてSUV(スポーツユーティリティビークル)が選ばれたのだ。結果的にプロシード・レバンテは1999年8月に生産を終了。実質的な後継を担ったのは、フォードと共同開発した新世代SUVのトリビュート(2000年10月発表)だった。

プロシード・レバンテが登場する6日前に新社長が就任

 2代目プロシード・レバンテが発売される6日前の1997年11月14日、マツダはヘンリー・D・G・ウォレス氏に代わる新しい代表取締役社長の就任を発表する。フォード出身者としては2人目の社長となるジェームズ・E・ミラー氏がその任に就いたのだ。

 それまでは代表取締役副社長および社長補佐を務めていたミラー氏は、自動車メーカーとしてのマツダの実力を高く評価しており、社長に就いてからは「マツダの潜在能力を最大限に引き出す」ことを経営方針に掲げる。そして、1998年1月には2代目ロードスター、同年6月には9代目ファミリア、1999年4月にはプレマシー、同年6月には2代目MPVと、マツダらしい新型車を矢継ぎ早に発売。同時に、社長に就く直前に制定された新ブランドシンボル(マツダのMと楕円を融合したマーク)を社章にも取り入れた。

 他社との提携も積極的に推し進め、スズキとの相互OEM供給の拡大や三菱自工との小型商用車OEM供給の締結、フォードとの新エンジンシリーズ共同開発および分業生産などを実施する。そして、営業利益の黒字転換や国内市場でのシェア回復を果たした後の1999年12月、フォード出身者で3人目の代表取締役社長となるマーク・フィールズ氏にその座を譲ったのである。