ランサー・セレステ 【1975,1976,1977,1978,1979,1980,1981】

FTOの後継を担う小型スペシャルティ



日本のすべての自動車メーカーが
排ガス対策に苦心していた1970年代半ば、
三菱自工はギャランFTOの実質的な後継となる
小型スペシャルティカーをデビューさせる。
初代ランサーのシャシーを流用したそのモデルは、
“青い空”を意味するセレステのサブネームをつけていた。
新しい小型スペシャルティの開発

 アメリカのマスキー法制定に端を発する厳しい排出ガス規制は日本にも波及し、1970年中盤の自動車メーカーはその対策に鋭意、取り組んでいた。とはいえ、新しいクルマをリリースしなければメーカーの売り上げは伸びない。苦心惨憺しながら、少ない予算と人員で新型車の開発を進行していく。

 1971年にビッグ3の一角のクライスラー社と資本提携していた三菱自工は、他社に比べるとわずかではあるが開発予算に余裕があった。そのため、当初の開発プランを遅延、変更しながらも懸命に進めていく。開発陣が最も注力したのは、小型車の分野だった。ユーザーのニーズにマッチする多用途性を備えたうえで流麗なスタイルを持ち、しかも低公害で安全性が高い小型車に仕上げる──。

基本コンポーネンツは1973年1月にデビューしていた初代ランサーのものを流用する決断を下した。ボディはアウトドアレジャーの流行を鑑みて、ファストバックを基本に大きなリアゲートと使いやすい荷室を持つハッチバックスタイルを企画する。スタイリングは“クリーンエアロスタイル”をテーマに、ロングノーズ&ショートデッキのスポーティなフォルムを構築した。

車名で低公害車であることを主張

 1975年2月、ランサー・ベースの小型スペシャルティカーがデビューする。車名はランサー・セレステを名乗った。セレステはラテン語で「青い空」の意味。低公害を実現して、青い空を復活させるという三菱自工の意気込みを表していた。

 低公害の要となるサターンエンジンは、4G33型1.4L・OHC(92ps)、4G32型1.6L・OHCのシングルキャブ仕様(100ps)とツインキャブ仕様(110ps)、そしてサーマルリアクタ(排気ガス再燃焼装置)とEGRを組み込んだMCA-㈼付きのG32A型1.6L・OHC(92ps)の計4ユニットをラインアップする。組み合わせるミッションはフルシンクロの4速MTのほか、5速MTも設定していた。

 スタイリングは小型スペシャルティらしいスポーティなフォルムと風洞実験によって得られた空力特性の高さが自慢である。注目のリアゲートは持ち上げ式で、広い開口部を確保。後席シートバックには可倒機構も採用していた。

走りは意外におとなしかった!?

 セレステはスタイリングから想像すると、かなり活発に走れるように見えた。とくにツインキャブ仕様のGSRは、ギャランFTOに匹敵するパフォーマンスを発揮するかのように思われた。排ガス規制下でもスポーティに走れる新型車が出現した──。しかし、そんなユーザーの期待は少し裏切られる。

 実際にセレステをドライブすると、従来のFTOのようにスポーティには走れなかった。エンジンは俊敏に回らず、加速も驚くほどには鋭くない。むしろ落ち着いた挙動のほうが目立っていた。排ガス対策に加えてベース車のランサーより車重が増えていた事実が、こうした特性をもたらした要因だろう。スポーツ車というよりも、パーソナル感を重視した多用途車──それがセレステの正体だったのだ。

 一方、このキャラクターが非常に受けた国もあった。提携先のクライスラーの母国、アメリカ合衆国だ。セレステはクライスラーのブランドのひとつであるプリマスから「アロー」の名でリリースされたが、意外なほど販売成績は伸びた。とくにスポーティなスタイリングと使いやすいラゲッジが好評だったという。三菱自工が意図した車両コンセプトは、奇しくも資本提携先の母国で受け入れられたのである。

COLUMN
三菱自工が実施した 排出ガス対策は──
ランサー・セレステはデビュー当初、サーマルリアクタやEGRを使って昭和50年排出ガス規制をクリアしていた。しかし、このままでは最も厳しいとされる昭和53年規制に対応できない。そこでスタッフは新たなシステムの開発を実施する。完成したのは「MCA-JET」と名づけられた渦流生成ジェット方式で、吸排気弁のほかに第3の弁=ジェット・バルブを設定し、ジェット噴流を起こして希薄燃焼を促進した。さらに絞り弁下方注入2段調量のEGRや小型の酸化触媒も装着し、厳しい53年規制を克服している。