ローレル 【1968,1969,1970,1971,1972】

ハイオーナーカーを謳った“月桂冠”の登場

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小型車ユーザーの上級指向への対応

 高度経済成長が進展し、国民総生産も一気に上昇していった1960年代中盤の日本。自動車業界おいては自家用車の保有台数が飛躍的に伸び、それに比例して道路網の整備も急速に進みつつあった。
 この状況のなかで、既存の1.5リッタークラスの小型車ユーザーからこんな意見が発せられる。「今までの小型車よりも豪華で、しかも快適に走れるクルマが欲しい」。具体的には、セドリック/クラウンといった中型車とブルーバード/コロナなどの小型車のあいだに位置する上級小型乗用車が、市場から求められるようになったのだ。

 新カテゴリーの小型乗用車の創出に対し、意欲的に取り組んだのが通産省による国内自動車会社の3グループ化構想(量産乗用車メーカー・グループ/特殊車メーカー・グループ/ミニカーメーカー・グループ)で高級車やスポーツカーなどを担う特殊車メーカー・グループに位置づけらていたプリンス自動車工業だった。同社はメインバンクの住友銀行や日本興業銀行の仲介もあって、1966年に日産自動車に吸収合併されるが、以後も量販が見込める上級小型乗用車の開発は着々と続けられた。

スポーティな中に気品を備えた内外装

 上級小型乗用車のスタイリングに関しては、「気品とスポーティさが調和した現代美」を基調とする。具体的には、大きく傾斜したフロントウィンドウに三角窓のないクリーンなサイドビュー、安定感のあるカーブドガラス、横長のテールランプが作り出す端正なリアビュー、国産初のフロントピラー設置型ラジオアンテナなどを採用した。ボディサイズやホイールベースについても、開発中の510型系ブルーバードより一回り大きく設定。また、見栄えのするメッキパーツをボディ各部に配備した。

 インテリアは「余裕のある、上質で広い室内空間の確保」がメインテーマとなる。インパネは全面ソフトパッドで覆うとともに、シックなブラック基調で統一。同時に、シートやドアトリムなどをモダレートトーン(穏やかな輝きを持つ色調)のカラーリングで仕上げた。ほかにも、フルリクライニングのセパレートシートやサイドデミスター付きフレッシュエアシステムなどを設定し、乗員の快適性と居心地の良さを演出する。また、安全性向上のために可動式フェンダーミラーと前後席3点式シートベルト・アンカーレッジ、新しいドアロックシステム、衝突エネルギーを吸収するボディ構造を採用した。

 搭載エンジンは、旧プリンス製のG18型1815cc直4OHCユニットを使用する。アルミ製のシリンダーヘッドにOHC(オーバーヘッドカムシャフト)のヘッド機構、5ベアリングのクランクシャフト駆動方式、V型弁配置と多球型燃焼室、電磁式のフューエルポンプ、高張力オイルリング、ローラー式チェーンテンショナー、クローズド式ブローバイガス還元装置といった高度のメカニズムを内包したG18型は、100ps/15.0kg・mのパワー&トルクを発生し、1トンあまりの車体を160km(3速AT)〜165km(4速MT/3速コラムMT)まで引っ張った。

 開発陣はシャシーの設計に関しても大いに力を入れる。サスペンションは前マクファーソンストラット/後セミトレーリングの四輪独立懸架を採用。また、ステアリング機構には応答性に優れるラック&ピニオン式を設定する。制動性能については、前輪にディスクブレーキ(上級仕様はパワーブースター付き)を装備した。

キャッチフレーズは「ローレルライフ」

 旧プリンス自工のエンジニアが開発を主導した日産の上級小型乗用車は、1968年3月に“ハイオーナーカー”と称して市場に発表される。車名は誇り高いクルマの意味を込めて月桂冠=「ローレル」と名乗った。ボディタイプは4ドアセダンのみ、グレード展開としてデラックスAとBの2種類を用意したC30型系ローレルは、「ローレルライフ、大きな世界」のキャッチフレーズを付けて同年4月から販売に移され、時代の波に乗って販売台数を大きく伸ばす。走りの評価も高く、G18型エンジンのスムーズさや四輪独立懸架の足回りによる快適な乗り心地、さらにラック&ピニオン式ステアリングの操縦性の良さなどが好評を博した。

 しかし市場デビューから半年ほどすると、ローレルの注目度は下がり始める。最大のライバルメーカーであるトヨタ自動車工業が、満を持してハイオーナーカーをリリースしてきたからだ。車名は「コロナ・マークII」。同社の主力車であるコロナのひとクラス上に位置する、ローレルと真っ向勝負した上級小型乗用車だった。

 コロナ・マークIIにはローレルにはない大きな特徴があった。4ドアセダンに加えて2ドアハードトップを用意していたのである。上質でスポーティな走りをルックスからも主張するハードトップの設定は、上級指向ユーザーの心をがっちりと捉えた。これ以後、ハイオーナーカーのトップセールスにはコロナ・マークIIが君臨することとなった。

「スペシャルティカー」の追加投入

 何とかコロナ・マークIIに対抗して、ローレルのシェアを復活させなければ−−。日産の開発陣はその対応策として、ローレルの車種バリエーションの拡大に乗り出す。
 まず、1969年4月にはニッサンフルオートマチック車(従来のATはボルグワーナー製)を発売。翌1970年1月には、フロアタイプのニッサンフルオートマチック車を設定する。そして同年6月になると、「日本初のスペシャルティカー」を謳う2ドアハードトップ仕様を設定した。

 日産初のピラーレスハードトップを纏ったエクステリアは、従来のセダンボディのローレルにはないスポーティで上質な雰囲気を醸し出す。また、上級グレードで採用したトップの別体色レザー仕上げも、ハードトップの個性を一際強調していた。ボンネット下に収まるエンジンは、従来のG18型に加えて、G20型1990cc直4OHCを用意。最上級のHT2000GX・ツインキャブレター仕様では、125ps/17.5kg・mのパワー&トルクを発生し、最高速度は180km/h、0→400m加速は17.2秒の俊足を誇った。

 見栄えの向上とパワーアップを果たしたローレル・ハードトップ。しかし、コロナ・マークIIの牙城は崩せなかった。ワンクラス下のブルーバードとルックスが似ていた、マークIIのほうが日本人受けするスタイリングで装備も充実していた、マークII・HT1900GSSのパフォーマンス(10R型DOHC140psエンジン。最高速度200km/h、0→400m加速16.6秒)より劣っていた……原因は色々と挙げられた。

熱烈なファンに支持された技術志向モデル

 ローレル・シリーズは一部の熱烈なファンに支持されたことも事実だった。旧プリンス自工直系のG型エンジンは、スムーズな加速と俊敏なアクセルレスポンスが味わえた。また、ラック&ピニオン式ステアリングによる応答性のいいハンドリングや四輪独立懸架の足回りに支えられたコーナリングの安定感など、マークIIを上回るパフォーマンスも実現していた。さらに、光が移動するシーケンシャル方式ターンシグナルといったギミックも、スペシャルティ感を盛り上げるのにひと役かっていた。

 さまざまな改善策が試みられたC30型系ローレル。しかし、販売成績の面ではコロナ・マーク㈼の後塵を拝し続ける。その反省は、次期モデルのC130型系の開発に生かされることとなった。