トラック&バスの歴史04 【1980〜1989】

バスの眺望アップとトラックの安全性向上



ワイドな眺望が魅力の2階建てバス登場

 高速道路網の全国的な拡充と、社会的な成熟が相まって1970年代の後半には観光バスに従来以上の快適性が求められるようになる。観光バスにとっての快適性は、乗り心地や静粛性も欠かせないが、それ以上に客席からの景観、ワイドな視界が重要な要素となる。観光バスは、目的地までの移動そのものも楽しみとなる存在であることが必要なのだ。高いアイポイントから周囲の景色を見渡すことが出来れば、乗客の楽しさは大いに増し、乗る喜びが倍加する。とくに高速道路での移動がメインとなると、視界はガードレール越しになる。良好な眺望の実現は観光バスの価値を決める大きな要素に急成長した。

 観光バスの眺望改善にいち早く対応したのは、大阪の観光バス会社、中央交通だった。中央交通は1979年にドイツ・ネオプラン社の2階建てバス、スカイライナーを輸入し導入する。従来とはまったく違うワイドな眺望が乗客に好評を博し、瞬く間に同社の看板車種として人気を博した。以後、多くの観光バス会社が欧州製2階建てバスを導入し、一大ブームとなった。これを受けて国内バスメーカーも2階建てバスを開発する。日野自動車がグランビュー、日産ディーゼルがスペースドリームを発表したのは1983年。三菱自動車もこれに続いた。

スーパーハイデッカーの魅力とは!?

 しかし2階建てバスを日本で運行する場合、車両制限令が足かせとなり、眺望のよさというメリットがフルに活かしきれないきらいがあった。日本では全高を3.8m(指定道路運行用は4.1m)以下にしなければならず、そうすると必然的に2階部分の客室高が1.7m程度に制限されてしまうのだ。客室高1.7mでは乗降時に腰をかがめなければ移動できず不便を乗客に強いることになる。また2階建て構造による重心高のアップは、乗り物酔いを助長する面もあった。確かに眺望は最高だが、日常的な使い勝手の面で必ずしも満点といえなかったのだ。2階建てバスは、新鮮味が薄れるにしたがって人気が下降気味となる。

 眺望のよさを実現しながら、使い勝手も犠牲にしない観光バス、この命題に対する回答がハイッデッカー・バスだった。ハイデッカー・バスは一般的に客室を高い位置に引き上げ、客室床面にタイヤハウスの出っ張りがでないようにした仕様で、考え方としては1960年代から存在した。しかし観光バスの主流となるのは1980年代半ばからである。1984年に従来以上に客室床面をかさ上げし、良好な眺望とともに床下の荷物スペースを拡大した“スーパーハイデッカー”と呼ばれる車両を三菱自動車が開発。日産ディーゼルもこれに続き、観光バスの新世代モデルとしての地位を不動のものとした。スーパーハイデッカーは、2階立てバスと比較して乗車定員面でやや劣るものの、その他の要素ではアドバンテージが多く、日本の道路状況で使いやすい観光バスである。車両安定性や乗り心地の面でも、燃料タンクの配置など重量バランスを改善することでハイレベルに仕上げていた。

社会が求めたトラックの安全性

 トラックも1970年代の半ばには、物流の主役として確固たる地位を築き、すべての機能をブラッシュアップした。とくに安全性面のリファインは積極的だった。大型トラックによる左折時の巻き込み事故が増大し、その対策が求められたからである。1978年秋には運輸省通達で1)サイドアンダーミラーの新設 2)補助方向指示器の新設 3)巻き込みを防止するサイドガードの形状改善の3点が義務づけられた。各メーカーは通達を的確に実施反映するとともに、キャビン左側にサポート・ウィンドーを追加し視界をリファイン。左折警告チャイムなどを追加装備するなど安全性向上に真摯に取り組んだ。物流を支えるトラックは、いわば社会の公器、社会を構成する一員として愛される存在にならなければならないという自覚が、メーカーを安全性リファインに駆り立てたのだ。大型トラックに続き、中型、小型トラックにも安全対策が盛り込まれ、トラックの安全性は一挙に改善された。

 また高速道路での移動が一般的になったことによりトラックにも空力対策が実施されるようになる。キャビンのフラッシュサーフェス化やエアダムスカートの装着、整流ボードの追加などが一般的になった。トラックの空力改善は高速安定性のリファインと同時に、燃費改善にも大きな効果を発揮するため、ユーザーメリットは非常に高かった。エンジン自体の電子制御も進み、トラックの燃費性能と走りは大いに進化した。