ルーチェAPロータリーワゴン 【1973,1974,1975,1976,1977,1978】
パワフル&クリーン。BIGスケール高級・俊足ワゴン
1972年11月にフルモデルチェンジを行い2代目に進化したルーチェは、当時“ロータリーゼーション”と銘打ちロータリーエンジンの普及に務めていたマツダのフラッグシップだった。それだけにロータリ—エンジン搭載車を中心に積極的にラインアップを充実させ、ユニークなグレードを加える。
代表が1973年12月に追加されたルーチェAPロータリーワゴンだった。日本で乗用車の1カテゴリーとしてワゴンが市民権を得るのは1990年代に入ってのこと。それまで、ワゴンは商用車であるライトバンの1種と見なされていた。セダンやクーペ以上に便利で居住性がよく、いくらユーティリティに優れていてもユーザーは見向きもしなかった。ウィークデイは仕事の足として使い、休日はファミーカーとして使う自営業者の一部が関心を示す程度だったのである。それでもマツダはルーチェにロータリーワゴンを加えた。
ロータリーワゴンは、全てが別格の意欲作だった。パワーユニットはクーペやカスタム(4ドアセダン)の最上級グレード“グランツーリスモ”と共通の新開発13B型2ローター・ロータリー。654cc×2の排気量から日本車トップクラスの135ps/6500rpm、18.3kg・m/4000rpmの出力/トルクをマークした。組み合わせるトランスミッションは5速MT。ロータリーエンジンならではの滑らかな回転フィールは高級車に相応しい上質感と静粛性を与え、同時に伸びやかなパワーがスポーツカーライクなパフォーマンスを約束した。トップスピードは185km/hをマーク。速さはスカイライン2000GTなどの2ℓ級スポーティカーを確実に凌いだ。
しかも13B型2ローター・ロータリーエンジンは時代が求めるクリーンな排出ガスも実現していた。多くのライバルが昭和48年排出ガス規制の適応に留まる中、早くも昭和50年排出ガス規制に対応させていたのだ。有害な一酸化炭素(CO)や炭化水素(HC)を、エンジンの排気ポート直後に設けた再燃焼室(サーマルリアクター)に導き、新しい空気を送り込んで燃焼させ無害化するマツダ独自のREAPS機構を組み込んだことの成果だった。ちなみに公害対策に適合していることを示すため、ルーチェの正式車名には“アンチポリューション”の頭文字の“AP”が冠していた。
13B型2ローター・ロータリーエンジンは、上質なフィールを実現するための新機構を組み込んでいた。メーカーが“トルクグライド”と呼ぶメカニズムである。トルクグライドは、エンジンの回転によってオイルを送り出すポンプ(直線放射状翼型)と、そのオイルの流れによって回転するタービンで構成され、エンジン本体とトランスミッションの間に組み込まれていた。トルクグライドは、ロータリーエンジンの低回転域で発生する回転むらに起因するスナッチを吸収し、滑らかな走りに貢献した。カタログでは「トルクグライドはエンジンとクラッチの間のクッション役。運転操作が容易になるだけでなく、エンジンの駆動力に潜むわずかなムラも埋められ、滑らかなパワーが引き出せます」と説明していた。
ロータリーワゴンは内外装も一級品だった。伸びやかな5ドアボディのフロントマスクはハードトップと共通形状の彫りの深いスポーティな造形。全長4490mm、全幅1670mm、全高1420mmのボディは十分な容量のラゲッジスペースを確保するためリアオーバーハングを長めに設定していた。サイド部にはアメリカンワゴンを思わせるウッドグレーン(木目模様)トリムを標準装備する。ホイールとタイヤは5.5Jのワイドリムとルーチェ専用設計の70偏平タイヤとの組み合わせ。リアワイパーやフロントウィンドーに埋め込まれたプリント式アンテナなど実用装備も上質だった。
室内ではスポーティな5連メーターとセンターコンソールが豪華なイメージを訴求。シートは上質で座り心地にこだわったジャガード織りの高級ファブリック仕様を奢る。パワーウィンドーやFMマルチステレオラジオも標準だった。後席背後の分厚いカーペットを敷き詰めたラゲッジスペースは広々としたフリー空間。大開口の大型テールゲートと相まって、遊び道具がなんでも積めた。
ロータリーワゴンは、ヨットや乗馬が趣味の週末を別荘で過ごすアクティブな富裕層にぴったりのイメージを持っていた。
しかし販売は低調だった。クルマ自体の完成度は高かったものの、ユーザーのライフスタイルがまだそれほど成熟していなかったことが原因だった。また1973年に勃発したオイルショックにより、燃費の悪さが販売面でマイナスに作用した。ロータリーエンジンはパワフルで排気ガスもクリーンに仕上がっていた。しかしもともと褒められたレベルでなかった燃費は、排出ガス対策でさらに悪化してしまったのだ。当時「燃費はV8レベル」と言われた。
ただしロータリーワゴンの魅力を正当に評価したマーケットも存在した。アメリカである。2代目ルーチェは、マツダにとって対米輸出の戦略モデルであった。アメリカでワゴンは、セダンなどよりもひとクラス上の存在としてすでに認知されていた。アメリカでも燃費の悪さは問題になったものの、多くの大排気量アメリカンモデルと比較すると容認できるレベルだった。燃費は日本ほどにはマイナス要因にならなかった。ロータリーワゴンは、新時代のパワーユニットとして期待が高まるロータリーエンジンの魅力を、優れたユーティリティとともに味わえるマルチモデルとしてアメリカで愛された。アメリカのモータリーゼーションは日本より20年ほど進んでいた。