デミオ 【1996,1997,1998,1999,2000,2001,2002】

復活の起爆剤となったまじめコンパクトワゴン

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フォードの傘下入りと新コンパクトカーの発売

 好景気を背景に展開したマツダの攻めの姿勢は、バブルの崩壊によって方向転換を余儀なくされ、1990年代半ばにはディーラー網や不採算車種の整理を図っていく。また、首脳陣は販売戦略の転換と同時にメインバンクの住友銀行と相談しながら経営の安定化を図るための戦略を模索。1996年5月には、フォードの出資比率の引き上げ(33.4%へ)を実施し、マツダ株の3分の1以上をフォードが掌握したことで実質的にマツダはフォード・グループの傘下に入ることとなった。

 経営の安定化を模索する一方、マツダは1996年8月に新ジャンルのコンパクトワゴンを市場に放つ。“自由型ワゴン”を標榜する「デミオ」を発売したのだ。イメージキャラクターには、米国NBA(National Basketball Association)の人気選手であるスコッティ・ピッペンを起用。203cmの長身選手とコンパクトで機能的なデミオとの対比が、大きな話題を呼ぶ。また、同時期にはフォード・ブランドからOEM車の「フェスティバ・ミニワゴン」がリリースされた。

約12カ月の短期間で累計生産10万台を達成

 デミオのパッケージングは非常に合理的だった。プラットフォームには既存DBタイプの改良版であるDWタイプを採用。ホイールべースは2390mmに設定し、衝撃吸収高強度ボディと組み合わせる。一方で、全長×全幅を3800×1670mmとコンパクトに収めたうえで全高は1535mmとたっぷりとり、広い室内空間を有する2BOXのハイトワゴンスタイルを構築した。エクステリア自体にも工夫を凝らし、横長のヘッドランプユニットを配した精悍なフロントマスクや開放感あふれる広いガラスエリア、大型コンビネーションランプを組み込んだシンプルなリアビューによって独特の“道具感”を創出する。RV的な要素の表現として、ルーフレールなども装備した。

 インテリアは、大きなキャビンルームと多彩なシートアレンジが特長となる。キャビンは背が高くてスクエアなボディ形状の効果で、頭上と肩まわりの余裕を実現。ヒップポイントを高めに設定して、乗降性の引き上げも達成する。シートについては、後席にスライドおよびリクライニング機構とダブルホールディング機構、ショルダーレスト脱着機構を、前席にはフルフラット機構を内蔵。乗員や積載物、または休憩などのシチュエーションに合わせて、多様なシートアレンジを選べるようにした。また、ラゲッジスペースは後席を最後部までスライドさせた状態で332L、最前部で385Lの容量を確保。リアゲートも広くて低い開口部を実現していた。

 搭載エンジンは改良版のB5-ME型1498cc直4OHC16V(100ps)とB3-ME型1323cc直4OHC16V(83ps)の2機種をラインアップする。組み合わせるトランスミッションは、B5-ME型に5速MTと4速AT(EC-AT)を、B3-ME型に5速MTと3速ATを採用。懸架機構には前マクファーソンストラット/後トーションビームを組み込み、クルマの性格に合わせてしなやかな方向に各部をチューニングしていた。
 B5-MEエンジンを搭載するGL-XとGL、B3-MEエンジンを採用するLXとLという4グレード構成でスタートしたデミオは、使い勝手のよさや機能的な車両デザイン、そしてリーズナルブな価格設定で人気を集め、販売台数を大きく伸ばしていく。デビューから12カ月ほどが経過した時点では、OEM車や輸出モデル(マツダ121)を含めて累計生産台数が早くも10万台に到達した。これに呼応するように会社自体の経営状況も改善する。1995年3月決算では357億9800万円の赤字、翌1996年3月には黒字化するものの僅か3億5400万円だった経常利益は、1997年3月には61億1100万円、1998年3月には115億1200万円へと拡大していった。

魅力度を高める改良を積極的に実施

 マツダの屋台骨に成長したデミオに対し、開発陣は人気を維持するための戦略を次々と実施していく。1997年秋には、特別限定車の「GL-Xスペシャル」や「LX-Gリミテッド」を発売。1998年3月には、発売開始以来の新記録となる月販1万4249台を達成する。同年9月には、内外装のリフレッシュやサスペンション特性の変更など一部改良を実施した。さらに12月には、特別限定車の「GLリミテッド」と「LXリミテッド」を発売。これが好評で予定よりも早く完売したため、翌'99年の4月には再発売を行った。

 1999年12月になると、大がかりなマイナーチェンジを敢行する。フロント部にはマツダの新アイデンティティであるファイブポイントグリルとエンブレムを採用。ランプ類やバンパー、インパネなどのデザインも一新する。さらに、新しい電子制御4速ATの搭載やサスペンションのチューニング変更、クラス初のDSC(ダイナミックスタビリティコントロールシステム)の設定、安全装備の拡大展開なども実施した。

 その後も「アレッタ」や「ピュアレ」の設定といったグレード展開の見直しや魅力的な特別限定車のリリースなどを相次いで行い、市場での存在感を維持し続けたデミオ。マツダの復活をその小さなボディで担った革新車は、2002年8月に全面改良が実施され、進化版の2代目へと移行していったのである。