プリンス・ロイヤル 【1966,1967,1968,1969,1970,1971,1972】

高い技術力で作り上げた国産御料車

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日本屈指の高い技術力を持ち、
数々の名車を生み出してきたプリンス自動車。
その究極形といえるモデルが、
国産初の御料車として採用された
プリンス・ロイヤルだろう。
しかし、このモデルが宮内庁に納入されるまでには、
さまざまなドラマがあった。
国産御料車の開発に向けて

 第二次世界大戦の敗戦から復興し、右肩上がりの成長を遂げていた1960年代初頭の日本。国内の自動車メーカーの開発・生産技術も急速に向上し、純国産の新型車が矢継ぎ早にデビューしていた。

 そんな状況の中、ときの宮内庁はひとつのプランを計画する。「皇室用の御料車を国産車にしたい」。それまでの御料車は、メルセデス・ベンツ770Kやロールス・ロイス・ファンタムなど、欧州製リムジンを使用していた。1950年代までの国産車はまだ信頼性が低く、要人を乗せるリムジンの開発などは無理難題であった。しかし、1960年代に入って日本の自動車技術は飛躍的に向上し、大型リムジンの開発も夢ではなくなってきていた。天皇は日本の象徴、よって天皇がお乗りになる御料車も日本国内で作ったものにすべきだ−−。この計画に政府も同意。さっそく宮内庁は自動車工業会へ御料車の開発を諮問した。

プリンス自動車の技術を結集

 御料車の開発に対し、ひとつのメーカーが名乗りをあげる。日本の数ある自動車会社の中でも高い開発能力と生産技術を誇っていたプリンス自動車だ。

 実はプリンス自動車は、以前にも宮内庁との接点があった。当時の皇太子(平成天皇)に向けて同社のセダンやグランドグロリアなどを納入していたのだ。しかもグランドグロリアには、皇太子が愛用するための特別な改造、通称“カスタムビルト”が施されていた。最大の特徴はホイールベースの延長で、後席の足元スペースを拡大しながらルーフを少しだけ高くしている。これは皇太子とご成婚された美智子妃が、好きな帽子を被ったまま乗車してもルーフやリアガラスに頭がつかえずに済むという配慮から実施された改造だった。きめ細かく完成度が高いクルマ造り−−宮内庁の側も、プリンスに対して大きな信頼を寄せていた。

 プリンス自動車は早速、専属チームを組織して御料車の開発に取り掛かる。さらに、メーカー系列の枠を超えた協力体制も取りつけた。

 シャシーは同社のグロリア系をベースに補強メンバーを入れるなどして大幅な改造を施す。ホイールベースは3880mmにまでストレッチした。サスペンションはフロントがダブルウィッシュボーン式で、リアがリーフリジット式。ブレーキは前後ともドラムだが、ツインマスターシリンダー+ツインサーボの2重制動を採用した。エンジンは新開発の6.4L・V8OHVを搭載し、ミッションは信頼性の高いボルグワーナー製の3速ATを組み合わせる。最高速度は8名乗車で160km/hと公表された。

 外装にも御料車ならではの入念な工夫が凝らされる。使用材料は一品ずつ電磁探傷検査のマグナフラックスを実施。フレームには亜鉛メッキを施し、バッテリーも100Aを2基搭載した。万が一のために燃料ポンプの予備も積み込まれる。ドアは電磁ロック式で、ガラスは最新鋭の防弾タイプを採用。パレードなどの長時間低速走行に対処するため、冷却系統にも万全を期した。

 内装は前席に3名、後席に3名、補助席に2名が乗車できる8名乗りのシートレイアウトを構築する。シート地は前席がレザー、貴賓席となる後席には最高級のウールが張られた。後席足元にはオットマンも装着する。室内の温度対策にも入念な配慮がなされ、サイドガラスは乾燥空気を封じ込めた二重式を採用。リア専用の空調も用意された。

正式発表時にはニッサンの名が

 プリンス自動車が威信をかけて製作した国産初の御料車は、1965年にまずボディ・スタイリングと車名の「プリンス・ロイヤル」が発表される。そして1966年10月22日には完成モデルが披露された。ただし、完成車は当初の車名とは違っていた。頭にニッサンが入り、「ニッサン・プリンス・ロイヤル」と命名されていたのである。

 プリンス自動車は高コストの開発体制や施設の整備増強などが災いして、経営状態が年々悪化していた。このままでは1965年4月に実施予定の乗用車の輸入自由化(実際は1965年10月に実施)に対処できない……。そこで1965年5月、日産自動車がプリンス自動車を吸収合併する形での契約が成立し、1966年8月から新体制に移行する。プリンス・ロイヤルは、そのわずか2カ月後に発表されたため、ニッサンの名が冠せられていたのだ。この状況に対し、マスコミ界からは「日産は天皇御料車の威信を得るために経営不振のプリンスを吸収合併した」とする声もあがった。

 ニッサン・プリンス・ロイヤルは1966年を皮切りに7台が製作され、宮内庁や外務省に納入される。天皇の御料車としては1967年から使われ始めた。そして2006年に後継モデルが納入されるまで、約40年もの長き渡って働き続けたのである。

COLUMN
プリンス・ロイヤルの後を 引き継いだモデルは――
 1967年に御料車として納入されて以来、ニッサン・プリンス・ロイヤルは昭和と平成の2世代に渡って皇室に愛用され続けた。しかし、さすがのプリンス・ロイヤルも経年には勝てず、21世紀に入って更新が計画される。順当にいけば後継車も日産製になるはずだったが、残念ながら当時の日産には御料車に使用できるベースのシャシーがなかった。さらにルノーと合併して経営の再建を図っていたため、御料車の新開発に当てる予算も十分にとれない。結果的に日産は御料車の納入を辞退する。代わって手を挙げたのが、日本最大のカーメーカーであるトヨタ自動車だった。トヨタは同社の最上級車のセンチュリーをベースに専用リムジンを開発。「トヨタ・センチュリー・ロイヤル」の車名で2006年に納入した。