アコード・サルーン 【1977,1978,1979,1980,1981】

ワールドカーに成長。快適さを徹底追求

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クルマが多用途化していく時代にあって、
アコード・サルーンの開発陣は、
まず快適性を重視した。
アコード3ドアの魅力をそのままに、
パッセンジャーのすべてが
疲れを感じることのないトータルな快適性を追求。
充実の装備や高い質感も備えた。
世界市場を目指す上級サルーンが誕生した。
四輪メーカーとしての飛翔

 排気量わずかに531ccと言う小さなエンジンながら、水冷直列4気筒DOHCの高度な設計を持ち、外国人ジャーナリストからは「時計のようなエンジンだ」と驚嘆され、1963年10月に発売された小型2シータースポーツカー、ホンダS500で本格的な四輪車生産に乗り出したホンダは、1967年3月には軽自動車のN360を、さらに1969年5月に小型セダンの1300 77/99を、また、1972年7月には2ドアハッチバックのシビックをデビューさせるという具合に、着々と四輪メーカーとしての地盤を築いていた。

なかでも、実用的なハッチバックのスタイルと安価な価格設定で人気を集めていた「シビック」に搭載された、希薄燃焼システムであるCVCC方式を採用したエンジンは、既存の技術では到達不可能と思われていた当時最も厳しい排気ガス浄化規制であったマスキー法をクリアし、世界を驚かせた。このCVCC方式の完成により、ホンダは一躍自動車メーカーとしての地位を世界的なものとしたと言える。CVCC技術を公開したホンダには、世界中の自動車メーカーやエンジンメーカーから、生産提携や技術提携に関する問い合わせや申し込みが殺到することになったという。

アッパーミドルクラスの市場拡大

 そうした中で、ホンダは小型ファミリーカーの「シビック」を超えたモデルレンジの拡充を図る。そのころ、日本の市場では、乗用車の中心はアッパーミドルクラスと呼ばれる1.6〜2.0リッタークラスのエンジンを備えた中級クラスに移行しつつあった。トヨタはコロナの上級車種としてコロナ・マークⅡを、日産はブルーバードの上級に位置つけられるローレルを発表するという具合だ。本格的な乗用車メーカーを目指すホンダとしても、シビックの上級車種は是非とも揃えておきたいところであった。そして、ホンダのアッパーミドル第一弾として登場したのが、1976年5月にデビューしたホンダ「アコード」であった。

それは、小型車のシビックが持つ5人乗り3ドアハッチバックという基本コンセプトを、拡大強化したモデルだった。ボディーサイズは二割程度大型化され、エンジンも排気量を1599ccの直列4気筒SOHCとしている。駆動方式は軽自動車の「N360」以来、ホンダのお家芸となっている横置きエンジンによるフロントエンジン、フロントドライブであった。

「アコード」に搭載されたエンジンは、「シビック」のものに比べて、同じ直列4気筒ながら、排気量は430cc大きくなり、出力は11psほども増加していた。当初、アコードは3ドアハッチバックのみの単一車種で販売が開始されたため、近々本格的な4ドアセダンの登場は必須と考えられていた。この当時、省エネルギー志向の高まりや排気ガス浄化規制の強化、安全対策の向上など、クルマを取り巻く環境は厳しくなっていたが、同時に一般ユーザーの趣味嗜好も多様化する気配を見せ始めており、「アコード」となってサイズが大型化されたとは言え、ハッチバックのみの単一車種ではシェアの拡大は難しくなっていたのである。

当然、ホンダは「アコード」の3ドアハッチバックが登場した時点で4ドアセダンを完成させており、生産体制の関係で発売時期を遅らせたという事情があったのだとも言われている。「アコード」のラインアップに、4ドアセダンを加えることは、本格的な四輪乗用車メーカーとして、ホンダの市場での地位を引き上げる効果も期待されていた。当時の日本では乗用車の主流は、いまだ3ボックススタイルの4ドアセダンにあったのである。

充実の装備で上級感を狙う

 ホンダは本格的な4ドアセダンの量産化に当たって、トヨタや日産など既存のメーカーのブランドと真っ向勝負をすることを避けたようだ。それは、トヨタのコロナ・マークⅡや日産のローレルなどとは直接競合することのない、排気量1600ccクラスの小型セダンとしたのである。

サイズ的にはカリーナやバイオレットなどに近いものだったが、スタイリングや走りのフィーリング、さらに完備された装備品などは、ひとクラス上のモデルにさえ匹敵するものとなっていた。そして価格は、そうした性能や装備から考えれば、最高グレードの車種でも120万円台と、相当お買い得な設定となっていたのである。

3ドアと主要部品を共有し効率化

 1977年10月に「ホンダ・アコード・サルーン」と、英国調のネーミングで発表された4ドアセダンは、3ドアハッチバック型のアコードをベースにして、Aピラー(フロントウィンドウ部分)から前の部分はそっくりそのまま流用し、Bピラーを前方に移動させ、後部ドアのスペースを確保している。また、リア部分はノッチバックとしてトランク部分を客室部分とは完全に独立させていた。

4〜5人乗りのセダンとしては十分といえる2380mmのホイールベースも1620mmの全幅もハッチバック型アコードと変わるところはない。これによって、大幅なプレス型の変更を必要とせずに、スタイリングの変更が可能となり、工場での生産ラインも共用することも可能となる。今日ほど生産ラインに電子制御システムが多用されていなかった当時としては、これは画期的なことだったのだ。アコード・サルーンのコスト削減の秘密のひとつである。

1エンジン/4グレードでデビュー

 メカニズムはハッチバック型のアコードとほとんど共通するもので、エンジンは当時のホンダが持つ最大排気量の直列4気筒SOHC1599ccで、これもハッチバックモデルに同じである。もちろん排気ガス浄化システムであるCVCC方式を搭載した低公害仕様となっている。「アコード・サルーン」のバリエーションは、下位からSL、GF、EX、そして最上級グレードのEX-Lの4種があり、トランスミッションは通常の4速とオーバードライブ装置付きの5速マニュアル、およびトルクコンバーターと2速トランスミッションを組み合わせたホンダマチックと呼ばれたセミオートマチックの3種。

また、リモートコントロール式フェンダーミラー(当時はドアミラーが認可されていなかった)、パワーウィンドウ、パワーステアリングなど、今では当たり前となっている装備を上級モデルに標準装備としており、室内装備をはじめとするさまざまなアクセサリーの類も、当時の国産車としては十分以上の内容を持つものとなっていた。この後、アコードの派生モデルとして、1978年11月には2ドアパーソナルクーペの「プレリュード」が、さらに、1980年には4ドアハッチバックスタイルの「クイント」が登場する。

 きわめて標準的なサイズとスタイルの4ドアセダンであったアコード・サルーンは、ホンダが総合的な自動車メーカーへと発展する端緒となったのである。

COLUMN
マイナーチェンジで魅力をさらにアップ
サルーンを含めたアコード・シリーズは1978年9月にマイナーチェンジを実施する。その内容は多岐に渡った。まず、53年度排出ガス規制に適合の1750ccのCVCCエンジンを搭載。新設計のこのEK型エンジンは、90ps/13.5kg-mのパワー/トルクを発揮(ホンダマチック車は、低速トルクを重視したチューンを施し、最高出力は85psに)。副燃焼室の構造を見直し、より希薄な混合気でも確実でなめらかな燃焼を実現した。エクステリアでは、グリルのラインをヘッドライト部分よりも上方に拡大した大型フロントグリルを採用。インテリアでは、重厚感あふれる新設計の大型インストルメントパネルの採用が目を引く。 さらにサルーンのEX-Lグレードには、新開発のオートエアコン装着車を用意し、迫力あるサウンドが楽しめるスリーディメンションオーディオを装備している。乗り心地の向上やロードノイズの低減を行い、快適性もアップ。5速MTの4速のギア比を下げ、市街地での使いやすさを高めるなど、足回りにもリファインを施していた。