歴代スカイライン研究 【1957~1981】

“卓越の走り”を追求したスポーティな血統

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堂々とどんな険しい道でも踏破するクルマ、それがスカイライン

 1957年4月に初代が登場したスカイラインは、トヨタのクラウンとともに長い歴史を持つ日本車の代表だ。しかも日本車としては希有な“ストーリー”を持つ存在である。開発陣の高い技術力と熱意、モータースポーツでの活躍、斬新な広告プロモーションなど、スカイラインを巡る話題はつきることがない。

 スカイラインの第一章は1953年に幕を開ける。戦時中主に陸軍の軍用機を製造していた立川飛行機の流れを汲む旧プリンス自動車工業で後のスカイラインとなる新型乗用車の企画構想がスタートしたのだ。1955年1月には最終計画が決定し、8月には主要設計が終了する。そして1956年5月に試作1号車が完成。徹底的な走行テストがスタートした。開発にあたって目標とされたのは「世界で通用する性能と品質を持ち、高速で安全かつ快適に走行できるクルマ、しかも劣悪な道路事情のなかでタクシー使用に耐えるタフさを持つ」だった。ちなみにスカイラインという車名の命名については諸説あるが、山並みを堂々と、しかもどんな険しい道でも踏破するイメージを込めて命名された。最終的には当時の社長だった団伊能氏が決断、会長の石橋正二郎氏が承認したものらしい。

 アメリカンスタイルを取り入れたスマートな外観を持ち、頑丈なバックボーン式フレームとド・ディオンアクスルを採用した初代スカイラインは1957年4月24、25日に東京宝塚劇場で発表会が開催され、華やかにデビューする。初代は素晴らしい走りで注目を集めたが、日本には未だオーナードライバー層はいなかった。そのためタクシーや運転手付きの法人車として活躍する。ちなみに後にスカイラインの育ての親として有名になる桜井眞一郎は、初代モデルでは足回りを担当していた。

2代目でオーナードライバー向けに大変身

 スカイラインがオーナードライバー向けの軽快なクルマとして生まれ変わるのは1963年9月に登場した2代目からだった。フラッグシップとしてのポジションをグロリアに任せ、スカイラインはブルーバードやコロナをライバルとするコンパクトモデルとなったのだ。エンジンは1484ccの70psユニットを搭載。プリンスらしいこだわりはメンテナンスフリーの実現で、エンジンは2年または4万km保証の封印仕様、足回りのグリスアップ期間も大幅に延長されていた。単に優れた走行性だけでなく、オーナーサイドに立った新機軸を盛り込んだ点がスカイラインの個性だったのである。

 とはいえ、スカイラインがおとなしいモデルだけだったら今日の名声はなかった。スカイラインを変えたのは日本グランプリ。それもレース敗北の屈辱だった。1963年に鈴鹿サーキットで開催された第1回日本グランプリでスカイラインは大敗した。メーカーがチームを編成してはならない、さらにメーカーがレース出場車の改造に関与してはならないという事前の紳士協定を律儀に守り、ほとんど市販状態のままレースに参戦したのが理由だった。トヨタや日産をはじめ、ライバルはチーム編成やマシン改造に深く関与し高い戦闘力を確保していた。いくら基本性能に優れたスカイラインとはいえ、ノーマル状態では負けるのは当然だった。だがプリンス自動車は、技術力の高さを最大のセールスポイントとしたメーカーである。レースの惨敗はとうてい容認できるものではなかった。

ポルシェとの激闘で神話を樹立した“スカG”

 プリンス自動車は、第1回日本グランプリの翌日から1964年の第2回日本グランプリの本格準備に入る。全社を挙げての必勝態勢で “勝てるマシン”の開発がはじまった。この過程で2代目スカイラインのホイールベースを200mm延長し、グロリア用の1988cc・直列6気筒エンジンを積み込んだ初代スカイライン2000GTが誕生する。スカイライン2000GTは、レース直前に緊急輸入されたポルシェ904と激烈なバトルを展開。急ごしらえのマシンながら途中トップを奪う力走を見せた。結局はポルシェに優勝を譲ったが2位から6位を占める活躍に鈴鹿サーキットの観衆、そしてテレビで闘いを見守った日本中のファンは惜しみない拍手を贈った。野武士を連想させる荒々しい闘いぶりで神話を樹立したのだ。真の勝者はスカイライン2000GTだった。
 100台の限定販売だったスカイライン2000GTは注文が殺到、1965年2月には正式カタログモデルに昇格。日本初の“羊の皮を被った狼”として圧倒的な人気を得る。サーキットでも無敵を誇り“スカG神話”を樹立する。

 日産自動車との合併を経て登場した3代目のスカイラインでは、レースで勝つことを目的としたGT-R、スケールの大きなグランドツーリングの世界を実現した2000GT、そしてバランスに優れた4気筒シリーズの3本立てとなり、販売も絶好調。続く4代目は、公害対策への対応などもあってレース参戦はなかったが、さらに販売は上向く。
 その後もスカイラインは、時代に即した高性能モデルとして高い人気をマークする。現行モデルはアメリカではインフィニティ・チャネルで販売される国際派だ。またGT-Rは「日産GT-R」に成長。世界屈指のスーパースポーツとして圧倒的な速さを誇っている。