シビック 【1987,1988,1989,1990,1991】
卓越の走り。 “グランド・シビック”の進化
1983年デビューのワンダー・シビック。
その後継モデルを開発するにあたり、
本田技研は新技術の積極的な投入を決断する。
内外装もいっそうの上質化を目指した。
4代目に当たる新型は1987年に発表される――。
バブル景気で盛り上がる1980年代後半の日本の自動車業界。クルマに対するユーザーの要望も、より上質で見栄えがよく、しかも高性能なモデルを求めるようになっていた。
3代目シビック、通称“ワンダー・シビック”の成功で勢いに乗っていた本田技研は、次期シビックにユーザーの要望を目一杯盛り込むように計画する。さらに、当時のF1ブームの牽引車にふさわしい先進技術を積極的に導入する決断を下した。
スタイリングに関しては、大ヒットしたワンダー・シビックのイメージを踏襲し、ロー&ワイドでスポーティなエクステリアを構築する。ただしボディ外寸は一回り大型化し、角のラインも滑らかに仕上げた。内装はオープンコミュニケーション・インテリアを基本コンセプトに、インパネとドアトリムを一体ラインでアレンジする。
シャシー面ではサスペンションにこだわった。前後ともに新設計のダブルウイッシュボーン方式を採用し、高いコーナリング性能と優れた直進安定性を目指す。エンジンは従来の改良版のZC型1.6L・DOHC16VのほかにD13B型1.3L・OHC16VとD15B型1.5L・OHC16Vを設定。OHCエンジンまでも16V化したことが特徴だった。
1987年9月、4代目シビックが満を持してデビューする。恒例のキャッチフレーズは、より上質化した事実を示すように“グランド・シビック”を名乗った。
ボディタイプは従来モデルと基本的に共通で、3ドアハッチバック/4ドアセダン/5ドア・シャトルを用意する。同時に基本メカニズムを共用するCR-Xも新型に移行した。
販売チャンネルと取り扱い車種の再編中だった本田技研は、グランド・シビックを扱うディーラー網も変更する。同社の大衆車をメインに扱うプリモ店の専売車種としたのだ。これには軽自動車からの上級車移行やプリモ店自体の経営強化という意味合いがあった。ちなみにCR-Xは従来通りベルノ店から販売される。ただし、この時点でバラードが廃止されていたため、車名はバラード・スポーツCR-XからCR-Xの単独ネームに変更されて店頭に並べられた。
意気揚々とデビューしたグランド・シビック。しかし、この新型に不満を感じるユーザー層がいた。スポーツハッチとして同車をとらえていたファンたちである。4輪ダブルウイッシュボーン・サスペンションを採用したのはいい。でも、フラッグシップエンジンがZC型のままなんて……。
ZC型ユニットがシビックに積まれて販売されたのは1984年11月。当時は1.6Lクラスのトップレベルのスペックを誇っていたが、ライバルメーカーがこぞって高出力の“テンロク”エンジンを開発したため、ZC型の影はやや薄くなっていた。新型のデビューに際し、ホンダ・ファンは競合車を凌駕する高性能テンロクの設定を期待していたのだ。
ユーザーからこうした不満が出ることは、本田技研としても十分に予想していた。そして、「ちょっと待ってて下さいね」と密かに思っていたという。理由は明快。驚異的な新エンジンを開発中だったからだ。
グランド・シビックの登場から約2年後の1989年9月、ついに新世代スポーツエンジンを積んだシビックがデビューする。SiRの新グレード名を冠したモデルのエンジンルームには、同社のインテグラRSiと基本的に共通の可変バルブタイミング・リフト機構=VTECを組み込むB16A型1.6L・DOHC16Vユニットが載せられていた。ターボなどの過給器を備えずにリッター当たり100馬力を搾り出すこの新エンジンは、たちまち走り屋たちの話題をさらう。さらに、高出力に対応するために設定された新開発のビスカスカップリング式LSDも注目を集めた。
ワンダー・シビックから始まったクラストップレベルのスポーツハッチバックを設定するという姿勢は、グランド・シビックにも確実に踏襲された。そしてその後のシビックにも、伝統として引き継がれていくのである。