スプリンター・クーペ 【1974,1975,1976,1977,1978,1979】
独自のボディを採用した3代目クーペ
トヨタ自工はこの流れに対応するために、
車種ラインアップの拡大に乗り出す。
カローラの派生車種だったスプリンターは、
オリジナリティを強調した独立車種へと移行。
とくにイメージリーダーのクーペには力を入れた。
カローラのファストバック版=クーペモデルとして1968年4月にデビューしたカローラ・スプリンターは、1970年5月のフルモデルチェンジで独立車種となり、1971年8月にはカローラの冠が取れて「スプリンター」の単独ネームとなる。クルマのキャラクターも明確化され、カローラよりもちょっと上級でスポーティなイメージを押し出していた。
トヨタ自工の開発陣はこの路線を3代目でも踏襲、正確にいえば、さらにカローラとの違いを強調する方針を打ち出す。ユーザーは高性能でスポーティなクルマを求めている。大衆車イメージが強いカローラだけでは、その要求に対処し切れない−−。もちろんこのコンセプトの背景には、同一シャシーで異なるイメージのクルマを造り、安いコストで販売店別の車種ラインアップを拡充していこうというトヨタ自工の作戦もあった。
1974年4月、3代目となるスプリンターがデビューする。型式は同時期にフルモデルチェンジしたカローラの30型系ではなく、40型系を名乗った。ボディタイプはイメージリーダーとなるクーペと4ドアセダンを用意。搭載エンジンは1.2L/1.4L/1.6L/1.6L・DOHCの4機種を設定したが、クーペには1.2Lユニットが積まれなかった(後に追加設定)。走りのクーペのイメージを崩さないように配慮したトヨタ自工の戦略である。
自動車マスコミやユーザーが40型スプリンターで最も着目したのは、クーペのエクステリアデザインだった。奥まった位置にレイアウトした丸目ヘッドランプと横長のグリルが形作るフロントマスクはスポーティ感満点で、クーペボディーのアグレッシブなイメージを明確に主張する。流れるようなルーフ形状、縦型のマーカーでまとめたリアコンビネーションランプなども、スプリンターの個性をいっそう際立たせた。ついにスプリンターは名実ともにカローラから独立した−−当時の自動車マスコミは、3代目スプリンターに対してこんな見出しをつけた。
上々の滑り出しを見せた3代目スプリンター。トヨタ自工はこの勢いを持続させるために、徐々にバリエーションを増やしていく。その中でとくに注目を集めたのが、セリカに採用して実績を積んでいたリフトバック(LB)仕様の追加だった。クーペボディーをベースにルーフを延長し、リアゲートを設けたスプリンターLBは、若者層を中心に好評を博す。
一方、LBのデビューと同時期に残念なニュースも流れた。高性能モデルのスプリンター・トレノが廃止になるというアナウンスだ。名機といわれる2T-G型1.6L・DOHCエンジンが厳しい排出ガス規制に対応できない、さらに排出ガスのクリーン化と省燃費が叫ばれるなかで高性能車に対する批判が強かったことが、トレノのカタログ落ちの理由だった。
トレノが廃止された後、3代目スプリンター・クーペの存在感は次第に薄れていく。苦労して確立したスプリンターのスポーティで上級なイメージは、このまま萎んでしまうのか……。
しかしトヨタ自工は、1977年1月に渾身の一作を市場に送り出す。スプリンター・トレノの復活だ。2T-G型ユニットはEFIの燃料供給装置や触媒を組み合わせるなどして昭和51年排出ガス規制をクリアし、エンジン型式は2T-GEU型を名乗った。
2T-GEU型ユニットはベースの2T-G型に比べて5psほど最高出力が低く、エンジンの回転フィールも鈍かったものの、クルマ好きからは「帰ってきたDOHC」と讃えられた。他社では廃止を余儀なくされた高性能のダブル・オーバーヘッド・カムシャフト・エンジンが、困難といわれた排出ガス規制を克服してきたからだ。
スポーティで上級なイメージをしっかりとキープした3代目スプリンターは、最も厳しいとされた昭和53年排出ガス規制も見事にクリアし、その存在感を維持し続ける。そして79年3月に4代目に移行するまで、大衆スポーティカーとしての地位を守ったのだった。