スカイラインHT2000GT-R 【1973】

わずか4カ月で生産を終了した孤高のケンメリR



“日本の風土が生んだ傑作車”と謳われる
高性能スポーティモデルのスカイラインは、
1972年9月になると全面改良が実施され、
第4世代となるC110型系に切り替わる。
4カ月後の1973年1月にはS20型エンジンを
搭載する「ハードトップ2000GT-R」が登場。
排出ガス規制などに翻弄されてわずか197台を
生産しただけで表舞台から去ったが、その存在は
スカイライン史の大いなる“伝承物”となった。
次世代スポーティファミリーカーの開発

 クルマに対する要求が多様化し、同時に大気汚染の対策や安全性の向上が必須課題となった1960年代終盤から1970年代初頭にかけての日本の自動車市場。この状況下で日産自動車は、高性能なスポーティカーとして高い人気を博す3代目スカイライン(C10型系)のフルモデルチェンジを計画する。

目標としたのは、「1970年代の先端をいくスポーティファミリーカーの創出」。具体的には、1.人間尊重の商品設計2.時代との調和のなかで特徴を維持したスタイル3.高い信頼性4.積極的な安全・公害対策5.優れた高性能といった項目の実現を目指した。

 開発を指揮したのは旧プリンス自動車工業の敏腕エンジニアで、スカイラインという名称の生みの親でもある櫻井眞一郎。リーダーとして辣腕を振るった櫻井は、「新型スカイラインのなかに自分の情熱とか、体温、鼓動など、そうした人間の“情”や温かさをつぎ込んだ」という。つまり、“血の通ったクルマ造り”を実践したわけだ。この開発信条は、後のスカイラインにも徹底して受け継がれることとなった。

サーフィンラインが活きる新しいスタイルを創造

 第4世代となるスカイラインは、C110の型式を冠して1972年9月に市場デビューを果たす。ボディタイプは2ドアハードトップと4ドアセダン、5ドアワゴンおよびバンをラインアップした。

 車両デザインに関しては、3代目の“ダイナミックで優美なスタイル”を踏襲しながら、さらにシャープなスピード感を加えて近代的かつ斬新なエクステリアに仕立てる。ディメンションは全長、全幅ともに拡大され、ボディごとにスタイリングの個性を際立たせた。ハードトップは美しいプロポーションのファストバックスタイルを基本に、彫刻的な造形のラジエターグリルなどでダイナミック感を強調。セダンはノッチバックスタイルをベースに、個性的なサーフィンライン、開放感あふれるガラスエリアなどで優美さを主張する。ワゴンおよびバンは、シャープなサーフィンラインやクオーターガラスを持たないCピラーで上質なスタイルを演出した。

 室内については安全性と居住性の向上をメインに、使いやすさと豪華さ、やすらぎを感じさせる人間中心のキャビンスペースを構築する。インパネは大型のソフトパッドで覆い、同時にキャビン部をフルトリム化。メーターには見やすい円形の無反射タイプを装着するとともに、主要スイッチ類はすべてステアリングコラム部に配置した。また、シートは新設計の大型タイプを組み込み、スライド量も増加。表地はグレードの特性に合わせて、上級クロスやレザー、トリコットなどを採用した。

4代目は従来型をベースにメカニズムを刷新

 メカニズム面の刷新についても抜かりはない。搭載エンジンはGT系グレードが搭載する従来の改良版であるL20型1998cc直6OHCのシングルキャブ仕様(115ps。ハイオクガソリン仕様120ps)とツインキャブ仕様(125ps。同130ps)を筆頭に、G18型1815cc直4OHC(105ps)と新開発のG16型1593cc直4OHC(100ps)を設定。全エンジンともに排出ガス対策としてクローズド式ブローバイガス還元装置およびアイドルリミッター付気化器、燃料蒸発防止装置を組み込んだ。

ミッションはL20型系が5速MT/4速MT/3速フルオートマチックを、G型系が4速MT/3速フルオートマチック/3速MTを設定する。サスペンションは高性能グレードに前マクファーソンストラット/後セミトレーリングの4輪独立懸架を、それ以外の仕様には前マクファーソンストラット/後半楕円リーフを採用し、専用セッティングのダンパーおよびコイルスプリングの装着やトレッドの拡大、ホイールベースの延長などと相まって優れた乗り心地と操縦安定性を獲得した。

標準車のデビューから4カ月後。待望のGT-R登場

 ワイドなラインアップで多様化するユーザー指向に対応し、さらに“ケンとメリーのスカイライン”をキャッチコピーとした従来にはないファッショナブルな販売キャンペーンを展開した4代目スカイラインは、“ケンメリ”という愛称とともに先代のC10型系ハコスカを上回る高い人気を獲得。販売セールスを順調に伸ばしていく。開発陣もこの勢いに乗るようにして、バリエーションの拡大や緻密な改良を図っていった。

 1973年1月には、高性能モデルの「ハードトップ2000GT-R」(KPGC110)が登場する。搭載するS20型1989cc直列6気筒DOHC24Vエンジンは、160ps(レギュラーガソリン仕様155ps)の最高出力こそ先代KPGC10型と変わらないものの、車両搭載および排出ガス対策の関係上、若干の改変を受ける。ステンレス鋼管製エグゾーストマニホールドは曲げ形状を変更。燃料蒸発制御装置を組み込んだことから、エアダクトやそれに関わるコネクターおよびブラケットの形状も一新した。

駆動系では、FS5C71B型5速MTのギア比を直結となる4速(1.000)以外で変更し、1速は2.957→2.906、2速は1.858→1.902、3速は1.311→1.308、5速は0.852→0.864とする。また、トランスミッションとプロペラシャフトの結合方法も、従来のフランジ式からスリーブ式に切り替えた。

シャシー関係ではトーインおよびキャンバーなどの変更とともに、スプリングのバネ定数をアップ。リアにはスタビライザーを新装備する。タイヤは6.45H-14-4PRから175HR14サイズのラジアルに換装。ブレーキは前ディスク/後ドラムから前後ディスクにグレードアップした。

GT-Rは精悍メッシュグリル。オーバーフェンダー標準

 外装については注目点が目白押しだ。フロントグリルはネットを張ったうえでブラックアウト化し、左側にはGT-Rのオーナメントを貼付する。サイドセクションにはリベット留めした前後オーバーフェンダーを装備。リアのトランクリッドにはスポイラーをセットした。

インテリアはスパルタンに仕立てられる。メータークラスターにはアルミパネルを装着。回転計は1万rpmまで、速度計は240km/hまで表示する。ステアリングは3本スポークの本革巻き。バケットシートは従来のKPGC10に比べてシートバック高とクッション寸法を大きくし、着座感を向上させた。

生産台数197台。悲運のケンメリGT-R

 GT-Rの登場で、いよいよケンメリもサーキットデビューか−−とファンから期待されたが、ボディが大きく重くなったケンメリGT-Rはレースには不向き。さらに、時代は大気汚染問題に端を発するクルマの排出ガス規制が厳しくなる一方で、日産としてもこの問題に資金と人員を大幅に割く必要があった。結果的にケンメリGT-Rはレースの舞台に投入されることなく、期間わずか4カ月、計197台(うちレース試作車2台)を生産しただけで姿を消すこととなった。

 GT-Rでのレース参戦はかなわなかったものの、4代目スカイライン自体は市場での高い人気を獲得する。時代の要請である排出ガス規制に対してもNAPS(Nissan Anti Polution System)を導入するなどして随時クリアしていく。1975年10月にはマイナーチェンジを行い、G16型エンジンはL16型(1595cc直4OHC)に、G18型はL18型(1770cc直4OHC)に換装。同時に内外装のデザインも変更され、一部の型式はC111に改称された。

 1977年8月になるとスカイラインは全面改良が行われ、C210の型式をつけた5代目、通称“SKYLINE JAPAN”に移行する。ケンメリの総販売台数は67万562台。この記録は3代目のハコスカの31万447台を大きく上回り、また後のスカイラインも超えることができない歴代最高の台数となる。また、197台を生産しただけで表舞台から去ったケンメリGT-Rは、その希少性や悲運のキャラクターから、スカイライン史における大いなるレガシィ=伝承物になったのである。

COLUMN
社会現象となるほどに脚光を浴びた “ケンメリ”キャンペーンの内容
 4代目スカイラインを語るうえで欠かすことができないのが“ケンとメリーのスカイライン”と称する販売キャンペーンである。先代の“愛のスカイライン”キャンペーンを継承、発展させたイメージ向上戦略は、メーカーが予想する以上に市場から注目を集めた。 内容は、ケンとメリーを名乗る若いカップルが4代目スカイラインに乗って日本各地をドライブするというストーリーで、作品数は全16話。登場車はハードトップがメインで、後半にはセダンも使用された。当初は陣内たけしとダイアン・クレイが、後に前田俊彦とテリー・ミラーがケンとメリーを演じた。挿入歌はBUZZが歌う『ケンとメリー〜愛と風のように〜』という楽曲で、好評のためにレコード化されて30万枚を超えるセールスを記録する。また、キャンペーングッズとして制作されたTシャツやキャップ、バッグ、キーホルダーなども高い人気を博した。