人気モデル研究/ブルーバード 【1959~1983】

日本にマイカー時代を告げた“青い鳥”の系譜

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幸福をもたらすクルマを意味する“青い鳥”の誕生

 1959年8月に誕生したブルーバードはマイカー時代元年を告げるクルマだった。「経済力が充実している好景気の日本にふさわしい本格的な乗用車を作りたい。これまで乗用車・トラック共用型のクルマが主流を占めていた日本に、本格的な乗用車を届けたい」。ブルーバードはそんな開発陣の熱い想いの結実だった。ネーミングはメーテルリンクの童話「青い鳥」をヒントに、幸福をもたらすクルマの願いを込めて当時の川又克二社長が命名した。

 初代ブルーバード(310型)は、英国オースチン車のノックダウン生産によって最新の乗用車作りを学んだ経験をフルに生かしていた。近代的で安定感のあるスタイリング、軽快な走りと優れた乗り心地、豪華で広い室内など、すべてが画期的だった。直列4気筒OHVの988cc(34ps)と1189cc(43ps)の2種のエンジンから選べ、実力は欧米の同クラス車と比較しても遜色のないレベルに達していた。
 人気は圧倒的だった。高輪プリンスホテルで開催された発表会には諸官庁・政財界の有力者、著名文化人など2000人詰めかけ、8月4日から6日間開催した一般発表会では12万人を超える来場者を集めた。全国各地のディーラーでも多くのファンが詰めかける。販売は絶好調で8月末には速くも注文に応じきれない状況となり、受注残は8000台にも達した。ブルーバードは登場直後から小型乗用車販売の首位に立ち、その後64ヵ月にわたってその座をキープすることになる。

 ブルーバードが登場した1959年当時は、まだまだ乗用車は夢の存在だった。しかしブルーバードはその夢を一歩、現実に近づけた。頑張れば購入できる身近な憧れにしたのである。多くの人にとって“ブルーバードを乗り回す生活”が目標になった。日本に“マイカー”という言葉を根付かせたのはブルーバードの功績である。

伝説の1600SSSをラインアップした2代目

 東京オリンピック開催、名神高速道路全通、東海道新幹線の開業など、日本が世界有数の国家に成長したことを示す大きな出来事が続いた1964年の前年、ブルーバードは2代目(410型)に進化する。410型はイタリアの巨匠ピニンファリーナがデザインしたスマートなスタイリングを纏っていた。日産車初のモノコックボディの採用により車高は55mmも低くなり、4灯式ヘッドランプによって豪華さもぐっと増していた。

 410型は走りの実力も大幅に向上していた。1964年にはスポーツモデルの1200SSが登場。1965年になるとフェアレディのメカニズムを移植した1600SSSがラインアップに加わる。世界で最も過酷と言われた東アフリカのサファリラリーへの参戦も開始した。
 2代目はアメリカを中心に海外市場でも高い支持を集め、日産を代表する国際車としての座を揺るぎないものにする。1964年4月には日本初の月産1万台を達成し、1966年に単一車種として初の国内登録50万台の大記録を樹立する。しかし410型は栄光とともに屈辱のブルーバードでもあった。ピニンファリーナ作のスタイリングが好き嫌いをはっきりと分けたのだ。ライバルであるコロナの猛追もあり販売はしだいに苦戦。ついに国内小型乗用車販売トップの座をコロナに明け渡した。

ベストセラーの座を奪回しサファリで優勝した3代目

 3代目ブルーバード(510型)は革新のブルーバードだった。高速時代の幕開けにふさわしいスーパーソニックライン、先進の新開発OHCエンジン、そして4輪独立サスペンションなど、すべてを一新していた。とくにスポーティモデルの1600SSSは100ps/13.5kg・mのツインキャブ仕様のエンジンを積み、俊敏な走りで多くのファンを魅了する。1968年には一段とスポーティなクーペもラインアップに加わり人気が加速し、コロナに奪われた小型乗用車販売トップの座も再び取り返す。

 510型の卓越した走りの性能は、サファリラリーで全面開花する。1970年の第18回大会で総合&クラス&チームの完全優勝を成し遂げたのだ。しかもブルーバードの優勝は、あのポルシェを抜き去っての勝利だった。世界の頂点を目指して成長していた日本を象徴する存在、それが3代目の510型だったのである。

6代目は新たなブルーバード時代を宣言

 ブルーバードUを名乗った1971年に登場した4代目(610型)と、1976年登場の5代目(810型)は、豊かさを求める時代の流れに呼応して一段と豪華なブルーバードへと成長する。なかでも個性的なフォルムをまとったブルーバードUは、1973年に直列6気筒エンジンを積む2000GTシリーズをラインアップに加えスポーティな色彩も明確にした。しかし厳しさを増す排気ガス規制や競合車の増大などで、独自の存在感が希薄になったのも事実だった。相変わらず海外市場では日産の代表モデルだったが、国内では地味な印象となった。

 状況を打破し、再びブルーバードにスポットライトを当てたのが1979年に登場した6代目(910型)である。「ブルーバード、おまえの時代だ。」というキャッチコピーとともに登場した6代目は、ブルーバードの原点に立ち返り、走りやスタイリング、快適性などすべてを磨き込んでいた。1982年1月にはスタイリッシュな4ドアハードトップも登場しさらに人気が沸騰。910型は再び小型乗用車部門販売トップの座をブルーバードにもたらした。しかもその座を27ヵ月間キープするベストセラーとなったのである。