日産デザイン6 【1969,1970】

スポーティなクーペ&ハードトップの拡大展開

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フェアレディの華麗なる変身

 欧州調のアレンジからスポーティな車両デザインへと転換していった1960年代後半の日産自動車。その路線は、1970年代に向けた新しいクーペ車やハードトップ車においてさらなる発展を見せる。

 1969年11月には、従来のフェアレディに加えてアルファベットの最後の文字で究極を意味する“Z”のサブネームが付けられた「フェアレディZ」をリリースする。新型の開発にあたり開発陣は当初、フェアレディSP/SRのようなオープンカーを予定していた。しかし、厳しさを増すアメリカの安全基準、さらに今後のスポーツカーは、GTカーとしての快適性が重視されるという情報から、ファストバッククーペのボディ形状に変更する。基本スタイリングはロングノーズ&ショートデッキで構築し、鋭く尖ったノーズ、フェンダーを抉るようなヘッドライト基部、流麗な造形のリアビューなど、各部に独自のアレンジを施した。内装では立体感あふれる一体成形インパネや深いフードに包まれたメーター、サポート性を高めたヘッドレスト一体型のバケットシートなどを装備する。エンジンはL20型1998cc直6OHCとS20型1989cc直6DOHCを設定。米国仕様ではL24型2393cc直6OHCを用意した。

豊かさを加えた2代目サニー・クーペ

 1970年1月になると、日本におけるクーペの先駆け、サニーが“豊かさ”のイメージを加えたB110型系へとモデルチェンジし、クーペボディも新型に切り替わる。

 2代目サニー・クーペは先代よりボディがひと回り大きくなり、基本スタイリングも本格的なファストバックスタイルに昇華した。各部のデザインにも工夫を凝らし、彫りの深いラジエターグリルに立体的なカウルトップ、曲線美とスピード感を活かしたサイドライン、ダイヤカットの大型リアコンビネーションランプなどで個性を主張する。室内では全面をパッドで覆ったインパネや質感が増した内張り、スペースを広げた後席などが特徴。エンジンはA12型1171cc直4OHVを搭載した。

国産初のスペシャルティカーを謳った“月桂冠”のHT

 1970年6月には“日本初のスペシャルティカー”を謳う「ローレル・ハードトップ」が市場デビューを果たす。ピラーレスハードトップを纏ったエクステリアは、セダンボディのローレルにはないスポーティで上質な雰囲気を創出。また、上級グレードで採用したトップ別体色のカラーリングも、ハードトップの個性を一際強調していた。ボンネット下に収まるエンジンは、従来のG18型に加えて、G20型1990cc直4OHCを用意。パフォーマンス面でも、スペシャルティ度が引き上がっていた。

 ローレルHTシリーズは一部の熱烈なファンに支持される。旧プリンス自工直系のG型系エンジンは、スムーズな加速と俊敏なアクセルレスポンスが味わえた。また、ラック&ピニオン式ステアリングによる応答性のいいハンドリングや四輪独立懸架の足回りに支えられたコーナリングの安定感など、クラストップレベルのパフォーマンスも実現していた。

スカイラインのHTはショートホイールベース

 スポーティで美しいハードトップ車に市場の注目が集まるなか、日産のスタッフはC10型系スカイラインにもハードトップ・シリーズを加えることを決定する。
 スタイリングに関しては、ホイールベースをセダンより70mm短縮したうえで、既存のエアロダイナルックを基本に前後ウィンドウの傾斜角の増加や流れるようなルーフラインを構築、ワイドドアの採用(セダンのフロントドア比で+200mm)、専用造形のラジエターグリルおよびリアガーニッシュの装着、角型タルボミラーの採用などを実施する。インテリアでは新デザインの計器板や内張り、木製ステアリング&シフトノブ等を装備した。

 一方、GT-Rのハードトップ仕様も別展開で開発が進められる。基本ボディは他のハードトップと基本的に共通。ただし、全幅に関してはリアに樹脂製のオーバーフェンダーを装備したことから70mmほど拡大(1665mm)された。また、外装ではブラックアウトした新形状のグリルを装着したうえで、メッキパーツ等の装飾部品を省略する

 ハードトップ版のスカイラインは、1970年10月に市場に放たれる。同時に、レース仕様GT-Rの開発も積極的に進められ、1971年3月開催の「全日本鈴鹿自動車レース」で初陣を切った。小雪まじりの悪天候のなか、それでも黒沢元治選手が駆る65号車のハードトップGT-RがTクラストップで快走し、見事にデビューウィンを飾ったのである。