ファミリア 【1994,1995,1996,1997,1998】
セダンとハッチバックで個性を明確化した骨太車
新生マツダを象徴したモデルが1994年6月に登場した8代目のファミリアである。マツダはバブル期に5販売チャネルによる急激なモデル拡大を実施したものの、結局は失敗し深刻な経営危機に陥る。経営再建の第一歩として選択したのは実績のある伝統モデルの魅力アップだった。なかでも海外市場を含めて主力の座にあったファミリアのモデルチェンジに開発陣は全力を傾注した。
ファミリアはFFレイアウトに変身した1980年以降、モデルの中心をハッチバックモデルに置いていた。軽快でスポーティなテーストをファミリアのアイデンティティとしてきたのだ。しかし8代目でそのイメージを一新。中心モデルを4ドアセダンに変更する。一方、ハッチバックには新たに“ネオ”のサブネームを冠し、スポーツクーペ風の大胆なスタイリングで個性を明確にした。幅広い年齢層に適応し、ファーストカーとしての機能を充実させた上質セダン、斬新なルックスでスペシャルティ感覚を訴求するハッチバックの2シリーズ構成によって、ファミリアが新世代に移行したことを高らかに宣言した。
セダンとハッチバックではボディサイズが大幅に異なっていた。セダンはキャビンスペース拡大を目指して従来モデルより一回り大型化し、全長4335mm×全幅1695mm×全高1420mm、ホイールベース2605mmの伸びやかなプロポーションを構築。一方のネオを名乗るハッチバックは、従来モデルとほぼ同等の全長4030mm×全幅1695mm×全高1405mm、ホイールベース2505mmのコンパクトサイズで引き締まった印象を大切にする。セダンとハッチバックではフロントマスク形状なども異なっていたため、同じファミリアの名を名乗ってはいても、事実上は別のモデルという印象だった。
両車で共通していたのは、剛性感を重視したボディである。カタログでは “しっかりボディがくれたもの。新方向ファミリア”と銘打ち、入念に仕上げたボディ骨格をアピールした。1994年当時は、日本を含め世界的に安全への関心が高まり、衝突安全性にユーザーの関心が集まっていた。ファミリアのしっかりボディは国内の新衝突安全基準や、世界で最も厳しいと言われた米国の新側面衝突安全基準に適合するもので、クラス最高レベルの安全性を備えていた。それだけではない、しっかりボディにより、サスペンション取り付け部剛性が高まったことにより従来以上に優れたハンドリングとしなやかな乗り心地をもたらした。静粛性の面でもプラス効果を生んでいた。つまり基本となるボディの徹底した見直しにより、クルマとしての完成度を飛躍的に高めたのである。マツダは日本の自動車メーカーのなかで最も早くボディ剛性の重要性に着目したメーカーだったが、8代目ファミリアは、その経験が存分に生きたクルマと言えた。
搭載するパワーユニットは多彩だった。主力ユニットはDOHCならではのスムーズさと、コンパクトカーと同等の燃費経済性をバランスさせた1489ccのZ5-DE型DOHC16V(97ps)で、スポーティな走りを求めるユーザー向けに1498ccのB5-ZE型DOHC16V(MT125ps/AT115ps)と、1839ccのBP-ZE型DOHC16V(135ps)を用意する。さらに1994年9月にはリーンバーン仕様のZ5-DEL型(94ps)と、いすゞから供給を受ける1686ccの4EE-T型ディーゼルターボ(88ps)をラインアップに加え、幅広いユーザーニーズに対応した。駆動方式は当初は前2輪駆動のFFのみだったが、後にフルタイム4WD仕様が追加された。
8代目ファミリアは全車に電子制御4速ATを採用する。走行状況に応じてシフトタイミングやロックアップ領域を最適制御しスムーズな走りと良好な燃費を実現する先進のATである。このATにはホールドモードが備えられていた。ホールドモードとはDレンジ=3速/Sレンジ=2速/Lレンジ=1速に、その名の通りギアをホールド=固定するもので、エンジンブレーキが必要な下り坂や、スポーツ走行にトライするシーンで威力を発揮した。雪道でも同様で、Dレンジでホールドモードを選択すると2速で発進が可能だった。アクセル操作の難しい雪道でトルクを抑制し発進をサポートしたのである。
8代目のファミリアは、マツダの魅力を凝縮したモデルだった。しっかりボディがもたらす安心感としなやかな乗り味が魅力で、経済性も優秀。室内も広く使い勝手に優れていた。ハッチバックのネオのスタイリングこそ好き嫌いがはっきりと別れたが、長く乗るほど魅力が際立つ実力車だった。