ランサー1600GSR 【1973,1974,1975,1976,1977,1978,1979】

新たな走りの血統が生まれる



1973年1月、三菱はギャランの下のクラスを
受け持つ新型車を発売。ランサーと名付けられた
このニューモデル登場から約半年、
ホットな心臓を搭載した1600GSRがデビューする。
ラリーフィールドへの本格参戦を踏まえたモデルであり、
三菱のレジェンドとなるGSRそして、
ランエボの走りの血統の誕生だった。
群雄割拠の小型車マーケット

 1960年に登場した小型乗用車「三菱500」に始まる三菱自動車の乗用車シリーズは、1962年の「コルト600」、1963年の「コルト1000」、さらに1964年には2リッター級の高級車である「デボネア」に至って、ほぼフルレンジ化されることになる。しかし、「コルト1000」(1966年に1100になる)と「デボネア」の間を埋めるモデルは、なかなか具体化しなかった。それは、1970年代半ばの時代でのこのクラスは、すでに日産の「ブルーバード」やトヨタの「コロナ」と言った、数多くのライバル達が鎬を削っていた最も激戦区となっていたからである。1.5〜1.6リッター・クラスの乗用車では後発となった三菱としては、余程の特徴的なモデルでなければ、それらのライバルたちの牙城を切り崩すことはきわめて難しいと思われた。

ギャランの成功をステップとして

 三菱は、まず、1965年に2サイクル3気筒エンジンを搭載する「コルト800」をデビューさせる。ファストバックという個性的なスタイルとスポーティな走りで人気を集めたものだ。これは、「コルト1100F」(1966年)へと発展する。さらに、1969年には1.3リッターと1.5リッター・エンジンを搭載した「ギャラン」シリーズをデビューさせた。

いわば、トヨタの「カローラ」と「コロナ」のクラスを、一つの車種でカバーしようとしたのである。「ギャラン」が、ライバルに対して持っていた最大の武器は、軽量なボディによるクラスを超えた高性能と、安価な販売価格であった。小型車にとって、この2つは最も有効な武器となるものである。果たして、「ギャラン」は三菱自動車の屋台骨を支えるトップセラーとなった。

「ギャラン」シリーズはその後も順調に発展を続け、パーソナルカーの流行に合わせて、1970年には「ギャランGTO」や「ギャラン ハードトップ」と言った派生モデルを生み出す。だが、豪華高性能なモデルは、同時に価格の高騰と言う結果となり、絶対的な販売台数は減少化の傾向を見せ始める。

三菱自動車にとって、特に若年層向けのスポーティでかつ高性能、そして安価なモデルは、販売政策上からも忘れてはならないものだったのだ。そこで、「コルト1100F」に続く安価で高性能なクルマの開発が開始された。

ラリーフィールドへの積極的な参戦

 世界的に人気の高かったラリーへの本格的な参加も決定される。三菱自動車が、サーキットレースではなく、量産車によるラリーと言うフィールドを選んだのも、ライバル達とは異なる道を走ることで、特徴をアピールしようと言う狙いがあったのだ。また、コスト的にもレースと比べると安価で済む。

その緒戦は、オーストラリアへの輸出が本格化していた「コルト1100F」を俄か仕立てでラリー車として、1965年にオーストラリアで行われたサザンクロス・ラリーに参加、総合4位とクラス優勝を果たす。初陣でのこの好成績に勢い付いた三菱では、本格的な世界レベルでのラリー参戦を決定する。

 当時すでに、日産やトヨタは国際的なラリーに、正式なワークスチームを組織して参戦していた。三菱も遅ればせながら、彼等に真っ向勝負を挑もうと言うのである。

先進性とスポーツ性を備えて登場

「コルト1100F」に続く小型車は、1973年に「ランサー」の名で登場する。搭載されるエンジンは1.2リッターから1.6リッターまで3種あり、いずれも三菱が独自に開発した排気ガス浄化システムであるMCA(Mitsubishi Clean Air System)を備えていた。駆動方式はオーソドックスなフロントエンジン、リアドライブで、ボディ形式は5人乗りの2ドアと4ドアのノッチバックセダンであった。

スタイリングは、曲面を多用した、ロングノーズ、ショートデッキのスタイルで、同時代の英国車、フォード エスコートに似た魅力的なものである。何よりもスポーティなことが身上であったから、4速と5速(1400SL-5以上に設定)のマニュアルトランスミッションはフロアシフトとなっていた。インスツルメンツパネルのデザインも3連の円形メーターを備えるなど、小型車としてもスポーティさが溢れたデザインとなっていた。

ラリーを視野に高剛性を実現

 実は、このA73と呼ばれた「ランサー」は三菱のラリーチャレンジの切り札となるべきクルマだった。それは、たとえば強固なモノコックフレームにも見る事ができる。「ランサー」のモノコックフレームは、頑丈なボックスセクションで構成される前後のフレームを、ボディ中央部分のトルクボックスでつなぐというレイアウトになっている。

これは、衝突安全性を高めると同時に、ボディのねじり剛性を飛躍的に高める働きを持つものだ。ラリーのフィールドでは、特に悪路の高速走行は日常的なものだから、走行安定性の確保は絶対条件となる。ボディの剛性を向上させることは、操縦安定性の向上に効果的な、きわめて重要なファクターなのだ。

サスペンションは、フロントがマクファーソンストラット/コイルスプリング、リアが固定軸/半楕円リーフスプリングの組み合わせ、ブレーキもフロントはディスクだが、リアはドラムのままだった。タイヤは6.15-13-4PRのバイアスタイヤが標準装備となっていた。今日の目から見れば旧式なものだが、当時としては最も一般的な設計だったのである。

サファリ初参戦で勝利を掴む

 1973年8月からシリーズに加わった2ドアセダンの「ランサー 1600GSR」は、このシャシー・フレームに排気量1597ccのサターン・シリーズと呼ばれる、水冷直列4気筒SOHCエンジンを搭載したものだ。エンジンは、2基のストロンバーグキャブレターと9.5という高い圧縮比から、110ps/6700rpmの最高出力と14.2kg-m/4800rpmの最大トルクを得ている。これで車重が825kgと軽いのだから、5速マニュアルトランスミッションを介して、0→400m加速16.4秒という鋭い加速力を生む。ラリーマシンのベースとしては打ってつけと言うわけだ。

事実、1974年のサファリ・ラリーでは、プライベートエントリーしたドライバーのジョギンダ・シンが、発売されて間もない「ランサー1600GSR」をベースとしたラリーマシン(エンジンの出力は170馬力に高められていた)を駆って、宿敵ポルシェ911を走らせるビヨルン・ワルデガルドを終盤で逆転して優勝した。三菱の計画は見事に的中したのだ。

以後、三菱は、サファリ・ラリーでは常連となり、多くの勝利を獲得している。他のライバル達が、電子制御デバイスなど、複雑きわまるメカニズムを採用して行ったのに対して、あくまでシンプル、かつ軽量化を推し進めた、三菱のラリー哲学の勝利でもあった。

COLUMN
国際ラリー7連覇の偉業を達成した初代ランサー
コルトやギャランを投入し、ラリーの国際舞台で健闘してきた三菱が、それまでのノウハウを注ぎ込んだ集大成が、ランサー1600GSRである。三菱は、1973年10月、第8回サザンクロスラリーに5台のランサーを送り込む。総合優勝をはじめ2位〜4位までを独占するというデビューウィンを飾る。三菱は自信作のランサーを擁して、次に狙うはサファリ。真のラリー車ナンバーワンを決する高速・耐久型ラリーである。1974年のサファリで、ランサーは見事、総合優勝を飾る。同年、サザンクロスも制覇し、国際ラリーの檜舞台でのダブルタイトルを収めた。翌年(1975)は、サファリでクラス優勝、サザンクロスで総合優勝。1976年には再び、サファリ、サザンクロスの双方で総合優勝を果たす。サザンクロス4連覇、サファリも加えると国際ラリー7連覇という偉業を成し遂げている。