セラ 【1990,1991,1992,1993,1994,1995】

世界が驚いた小型ガルウイングCar

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好景気を謳歌する1980年代後半の日本。
トヨタ自動車は豊富な開発資金を背景に、
新しい小型スペシャルティを企画する。
若者のさまざまな嗜好を捉え、
夢を目一杯に詰め込んだその1台は、
1990年3月に市場デビューを果たした。
新しい小型スペシャルティの提案

 東京の晴海で開催される最後の年になった1987年の第27回東京モーターショー。後にバブルといわれる好景気を背景に、各自動車メーカーは華やかな新型車を多数披露する。
 その中でトヨタ自動車は、小型スペシャルティのコンセプトカーを雛壇に乗せた。車名は「AXV-II」。ガラスを多用したラウンディッシュなボディにガルウィングドアを装着したそのスタイリングは、“小型車界のスーパーカー”として観衆の注目を集める。
 AXV-IIはショーで大きな注目を浴び、開発陣は早速市販化に向けての本格準備に乗り出した。
 シャシーは開発途中だった4代目スターレットや3代目ターセル&コルサ用がベース。被せるボディはコンセプトカーの具現化を目指し、ルーフ部にまで回りこむガルウィングドアとサイドガラス、そして大きな3次曲面リアガラスを組み込んだパノラミックハッチを採用した。ドアの操作性やボディ剛性、さらに安全性といった項目も重視し、幾度となくテストを繰り返す。ガラス自体の遮熱性にもこだわった。

 エンジンはスターレット用の4E-FE型1.3Lユニットをそのまま流用するわけにはいかなかった。ガルウィングドアの剛性確保やガラス面を多用した結果、ボディが重くなってしまったのだ。開発陣は鋭意、改良に着手し、4E-FE型の排気量アップを計画する。通常ならボアアップで対処するところだが、エンジニアが選んだ手法はロングストローク化だった。中低速トルクが厚くなり、ブロック剛性を確保できる、といった理由がロングストロークにこだわった理由である。結果的に開発されたエンジンは5E-FHE型と名づけられ、1.5L・DOHCハイメカツインカムからは110ps/13.5kg・mのパワー&トルクが搾り出された。

豪華で特徴的な装備群

 1990年3月、トヨタの新しい小型スペシャルティカーが満を持してデビューする。車名はフランス語のエートル(〜である)の未来形で、「未来に向けて羽ばたく夢のあるクルマ」の意を込めて“セラ”と名乗った。
 実際にデビューしたセラの注目ポイントは、グラッシーキャビンやガルウィングドアだけではなかった。インテリアでは室内ルーフの形状やトリムに合わせて音響解析し、最適配置のスピーカーとオーディオユニットを装着したスーパーライブサウンドシテムや専用デザインの内装などが注目を集める。エクステリアはカラフルなボディカラーやプロジェクターヘッドビーム等が話題を呼んだ。ガルウィングドアの操作性も良く、ドア操作力温度保障ステーまで追加した開発陣の努力が表れていた。

 これだけの豪華&専用装備を実現しながら、セラの車両価格は非常にリーズナブルだった。ベースグレードの5MT車で160万円、最上級のスーパーライブサウンド付き4AT車でも188万1000円に抑える。渾身の小型スペシャルティカーを一人でも多くの若者に楽しんでほしい−−。開発陣のそんな願いが、この価格設定には込められていたのである。

市場での評判は−−

 大きな話題を集めて華々しくデビューしたセラ。しかし、販売成績は予想外に伸び悩む。当時の若者は高性能のスポーツモデルやハイソカー、クロカン4WDなどに興味を抱くケースが多く、スタイリングこそ個性的だが走りは平凡だったセラにあまり触手が動かなかったのだ。
 その打開策として開発陣は、セラに細かな改良を施していく。91年5月にはボディカラーの見直しと新シート地の採用などを実施。92年6月には再びボディカラーを見直し、同時に電気式ドアロックの標準装備化などを敢行した。93年12月には新冷媒エアコンの採用やリア3点式シートベルトの標準装備化などを施す。
 さまざまな改良を実施したセラ。しかし、販売成績は改善しなかった。さらにバブル景気も崩壊し、トヨタは業績回復のために不採算車種の整理を余儀なくされる。そして95年末、ついにセラの生産は中止されてしまったのである。

COLUMN
専用チューニングを施したオーディオシステム
 セラの室内空間に合わせて新開発されたスーパーライブサウンドシステムは、重低音の再生に優れたARW(アコースティック・レゾナンス・ウーハー、音響共振ウーハー)を含む「10スピーカーシステム」と、アンプからの音声信号をデジタル信号処理し、選択したモードに則してセンタースピーカーと上下角度可変リアスピーカーからの初期反射音と残響音を生成する「DSP(デジタル・シグナル・プロセッサー)」とを併せて採用した点が特徴である。当時のオーディオシステムの中では、トップレベルの音響空間を創出していた。