FTO 【1994,1995,1996,1997,1998,1999,2000】

スポーツモードATを採用した先進スポーツクーペ

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RV系に続く「新次元スポーツ」企画

 バブル景気の崩壊で業績悪化に苦しんでいた1990年代前半の日本の自動車業界。そのなかで三菱自動車工業は、1991年1月に発売した2代目パジェロや同年2月デビューのRVR、同年5月に発表した2代目シャリオ、そしてマイナーチェンジを繰り返して魅力度を高めていったキャブオーバー車の2代目デリカスターワゴンといったレクリエーショナルビークル、いわゆるRVモデルのヒットで好調な業績を上げていた。そして1990年代半ばには、国内ナンバー3の地位を確立しただけでなく、第2位の日産自動車の背中も見え始める。そこで首脳陣は、次なる方針として“日産追撃”の大号令を発し、シェア15%の獲得を目指す戦略を矢継ぎ早に打ち出す。

 その一環として計画されたのが、RVに続く車種ラインアップのイメージリーダー、すなわち「新次元スポーツ」の創出だった。当時の三菱自工は「GTO」(1990年10月デビュー)いう4WDスポーツカーを生産しており、高性能に比してリーズナブルな価格設定で好評を博していた。このGTOの系列に並ぶスポーツモデル、具体的には“GTOの弟分”を新設定し、同カテゴリーにおける市場シェアのさらなる拡大を目指したのである。

往年の名車「FTO」の名で市場デビュー

 GTOの弟分は、「FTO」の車名を冠して1994年10月にデビューする。キャッチフレーズは「この運動神経は、ふつうじゃない」、「こんどは、スポーツもかえたかった」。最新のメカニカルコンポーネントや車両デザインを積極的に採用し、「新次元スポーツ」に仕立てたことをストレートに主張していた。

 FTOの基本骨格には、同社の最新FF車用プラットフォーム(ホイールベース2500mm)にコンピュータ解析を駆使した専用設計の高剛性クーペボディを組み合わせる。足回りにはフロントにサブフレーム方式を導入すると同時にワイドトレッド設計としたマクファーソンストラットを、リアにトレーリングアームとアッパーリンク、ロアアーム、トーコントロールアームで構成するマルチリンクを採用した。

 パワーユニットは可変バルブタイミング&リフト機構のMIVECを組み込んだ6A12(MIVEC)型1998cc・V型6気筒DOHC24V・MIVEC(200ps/20.4kg・m)を筆頭に、6A12型1998cc・V型6気筒DOHC24V(170ps/19.0kg・m)、4G93型1834cc直列4気筒OHC16V(125ps/16.5kg・m)という計3機種を設定。そして、トランスミッションには2~4速をクロースレシオ化した5速MTのほか、新開発のINVECS-Ⅱスポーツモード4速ATを採用する。電子制御式ELCフルオートマチックのINVECS-Ⅱは、Dレンジ左側にシフトアップの+、シフトダウンの-というゲートを備えた“スポーツモード”を設定し、マニュアル感覚のシフト操作が楽しめるようにアレンジ。さらに従来のファジー制御に加えて、最適なシフトパターンをあらかじめコンピュータにインプットした“最適制御”やドライバーの運転スタイルを学習する“学習制御”を内蔵した。

内外装デザインも“スポーツ”を雄弁に主張

 エクステリアは、曲線を多用した造形を基本に、ロングデッキ、ワイドトレッド、ショートオーバーハングのプロポーションを採用。ひと目でスポーツカーと実感できる軽快なクーペスタイルで仕立てる。細部のアレンジにもこだわり、プロジェクターランプを組み込んだヘッドライトやハニカムメッシュを配した楕円グリル、後方にいくに従って滑らかに上昇するサイドエアダム、センター部に支柱を配したリアスポイラーを装備して、ダイナミックで独自性あふれるルックスを創出した。

 FTOはインテリアも、スポーツカーとしての特性を目一杯に強調する。コクピットはボリューム感あふれるインパネおよびセンターパネルやドアトリムによって、パーソナル感を演出。スイッチ類はドライバーに向けて配置され、3本スポークステアリングホイールのグリップ部には操作性に優れるディンプル加工を施した。一方、前席にはヘッドレストを一体化し、かつクッションとシートバックに異硬度ウレタンパッドを導入したハイバックスポーツシートを装着。表皮はソニックファブリックまたはスフィーダファブリック仕様で、運転席には前後独立調整式のハイトアジャスターを組み込んだ。

「1994~1995日本カー・オブ・ザ・イヤー」を受賞!

 6A12(MIVEC)エンジン搭載のGPX、6A12エンジン搭載のGR、4G93エンジン搭載のGSという3グレード構成でスタートした新型FTOは、スポーティでアグレッシブなスタイリングやリッター当たり100psを達成したMIVECエンジン、マニュアル感覚の変速が楽しめるスポーツモードAT、そしてFF車でトップクラスの旋回性能が注目を集め、月間販売目標の2000台を大きく上回る受注を記録していく。また、自動車業界の識者からも高く評価され、「1994~1995日本カー・オブ・ザ・イヤー」を受賞した。

 人気を維持し、スポーツカー・カテゴリーにおけるシェアをさらに伸長させようと、開発陣はFTOの改良および車種展開の拡大を図っていく。1995年4月には、GPXをベースとしたカー・オブ・ザ・イヤー受賞記念モデルを限定500台で発売。ボディカラーには専用色のダンデライオンイエローを採用する。さらに同年5月には、GRをベースにリアスポイラーや16インチアルミホイールなどを標準装備した特別仕様車の「GRリミテッド」をリリースした。

 1996年2月になると、最初のマイナーチェンジを実施。MIVECエンジン搭載の標準仕様となるGPと充実装備のGRスポーツパッケージの追加設定や運転席SRSエアバッグの全車標準化などを行う。同年5月には、スポーツサスペンションやヘリカル式LSD、前後ストラットタワーバーなどを装備する特別仕様車の「GPバージョンR」を発売した。

 1997年2月には2度目のマイナーチェンジを敢行する。外装ではフロントバンパーやフォグランプおよびウィンカーランプのデザインを刷新して新鮮味をアップ。内装ではシート表地を新タイプに切り替える。機構面ではINVECS-IIスポーツモードATの5速化を実施。また、6A12エンジンのチューンアップを行い、パワー&トルクは180ps/19.5㎏・mへと向上した。さらに、GPバージョンRをカタログモデル化したうえで、ディスチャージヘッドランプなどを新たに組み込む。一方、市場のRVブームの影響を受け、月販目標は750台に引き下げた。

 1997年11月になると、新仕様の「エアロシリーズ」が登場する。車種展開は6A12(MIVEC)エンジン搭載のGPバージョンR“エアロシリーズ”と6A12エンジン搭載のGXスポーツパッケージ“エアロシリーズ”の2グレードで構成。大型リアスポイラーやサイドエアダム、ディスチャージヘッドランプ、フォグランプ、MOMO製本革巻きステアリングなどを特別装備して、FTOのアグレッシブな特性をいっそう引き上げた。

会社の業績悪化とともに1代限りで終焉

 スポーツモデルらしく、精力的に進化の道を歩み続けたFTO。しかし、1990年代終盤になると、厳しい現実が三菱自工に突きつけられる。ミニバンが台頭し、オデッセイやステップワゴン、エスティマなどの販売成績が伸長。さらに人気のRVもヘビーデューティからライト級へと移行したため、国内の販売台数が大きく下落したのだ。これに追い討ちをかけるように北米市場での販売成績も落ち込み、結果的に三菱自工の業績は大きく悪化していった。

 この困難に対し、三菱自工は新型車の積極的なリリースや新技術の開発などで業績回復を図ろうとする。しかし、同社にはさらなる試練が待ち受ける。1997年に総会屋に対する利益供与が表面化。さらに2000年にはリコール隠しが発覚し、同社のイメージは悪化の一途をたどる。この頃になると、連結決算の赤字は1000億円を超え、有利子負債も1兆5000億円近くに達した。

 もはや自主再建は難しい--三菱自工の首脳陣は提携先を模索する。そして2000年、ダイムラー・クライスラーと提携に関する契約を締結し、出資を受ける旨を発表。同時に不採算車種の大がかりな整理を行い、その一環として同年7月にFTOの生産を終了した。
 1代限りで車歴に幕を閉じたFTO。しかし、その後に定番化するマニュアルモード付ATを国産車で初めて採用した価値と魅力は、決して色あせることはない。