インスパイア 【1989,1990,1991,1992,1993,1994,1995】
ホンダが創造した大人のスペシャルティ
1980年代末の日本の自動車市場。
ホンダ技研はアコードをベースにした
上級4ドアハードトップ車をデビューさせる。
車名はアコード・インスパイア。
FR方式を採用するライバル群とは異なり、
「FFミッドシップ・縦置5気筒」を採用していた。
マークII兄弟やスカイライン/ローレル、そしてセドリック/グロリア・シーマなど、いわゆる“ハイソカー”と言われるクルマたちで活況を呈していた1980年代末の日本の自動車市場。このカテゴリーで遅れをとっていた本田技研は、シェア拡大を目指して新たなハイソカーをマーケットに投入する決断を下す。
ベース車として選ばれたのは、開発途中のCB型アコードだった。ただし、アコードのシャシーやエンジンをそのまま使うことはせず、独自のディメンションを採用する。当時はバブル景気の真っ盛り。開発資金に余裕があったのだ。
開発陣はまず搭載エンジンの開発に手をつける。選ばれたのは試作の最終段階に入っていた2L直列5気筒OHC20V+PGM-FIユニットで、これを縦置きでエンジンルーム内に収める。しかも運動性を考慮して、フロントの車軸より後ろに長いエンジンとトランスミッションをレイウアトした。いわゆるフロントミッドシップである。さらにエンジンを右に35度傾斜させ、低重心化も図った。一方、駆動方式はライバル車とは異なり、FWDを採用する。長い経験に裏打ちされた豊富なノウハウを持ち、フロントエンジン&フロントドライブの性能に絶対の自信を得ていた開発陣の決断だった。
縦置き5気筒エンジンによるFFミッドシップという世界初のレイアウトを実現するため、開発陣はシャシー各部をベース車から大幅に変更する。ホイールベースは当時のセンチュリー並の2805mmにまで延長。フロントセクションも大きく伸びた。さらに制振性や遮音性能を向上させるために世界初のハニカムフロア&ルーフを採用し、加えてアンダーフレームをフロントからリアまで連続化させてボディ剛性も引き上げる。スタイリング自体は、ハイソカー定番の4ドアハードトップボディを構築した。
1989年9月、4代目アコードのデビューと同時にホンダ版の新ハイソカーが登場する。車名はアコード・インスパイア。ベース車であり知名度も高いアコードの車名に、「感動させる、インスピレーションを与える」を意味するサブネームを付けていた。またインスパイアにはバッジエンジアリングを施した兄弟車も設定され、3代目ビガーがその役割を担っていた。
ハイソカーらしく華々しくデビューしたアコード・インスパイア。しかし、市場の反応はほどほどだった。シーマのように3ナンバーボディではなく、存在感が薄い。凝った機構の5気筒エンジンとはいえ、排気量は2Lしかない。スポーティではあっても、ハイソカーらしい艶や重厚感がない……。英国車にも通じる品格は、通の大人には大いに受けた。しかしその人気は市場を席巻するほどではなかった。かつてプレリュードに乗り、そろそろ落ち着いたモデルにしたいと考えていたホンダ・ファンには熱狂的に支持されたものの、その他の層にはなかなか魅力が伝わらなかったのである。
悪条件はさらに重なる。インスパイアのデビューから1カ月ほどして、ポスト・ハイソカーといえる国際派の高級車が登場したのだ。贅を尽くした3ナンバーボディに新開発の4L・V8DOHC32Vエンジンを搭載したトヨタ・セルシオである。高級車市場のユーザーの目はたちまちセルシオに集中し、ホンダ渾身のハイソカーはデビューしたてにも関わらず個性派というイメージを持たれてしまった。
何とかアコード・インスパイアの存在感を高めたい。開発陣は矢継ぎ早にインスパイアの改良を実施する。グレード展開の拡大、装備の充実、安全性の向上、そして92年1月には3ナンバー専用のワイドボディに2.5L直5エンジンを搭載し、車名をインスパイアの単独ネームに改めた新モデルも発売した。
3ナンバーボディ&エンジンと単独ネームを得て、名実共に上級車に進化したインスパイアだったが、またしても悪条件が同車を襲う。バブル景気の崩壊によってラグジュアリーカー・ブームは急速に衰退し、ユーザーの目はクロカンやワゴンなどの四駆(4WD)モデルに移っていたのだ。
「FFミッドシップ・縦置5気筒」という独自のハイソカー作りを実践した初代インスパイアは、結局ラグジュアリーカー市場でシェアを大きく伸ばすことは出来ず、95年2月にはフルモデルチェンジを実施して新型に切り替わる。その2代目インスパイアはアコードから完全に分離され、ひとクラス上の高級車に車格を変えたのだった。