S800(02) 【1966,1967,1968,1969,1970】

世界に誇る究極マイクロスポーツ

会員登録(無料)でより詳しい情報を
ご覧いただけます →コチラ


上級スポーツと同等の速さを披露!

 ホンダSシリーズは、1965年10月の東京モーターショーでS800に進化する。S800となっても、DOHCエンジンやサスペンション、ボディスタイリングなど基本的な部分の設計は当初のホンダSシリーズ各車と変わらなかった。S800のエンジンはS600のシリンダー内径(ボア)と行程(ストローク)を拡大して排気量を791ccとし、最高出力を70ps/8000rpm、最大トルクを6.7kg・m/6000rpmとしていた。しかしそれ以外は京浜製4連装キャブレターや向かって右側に45度も傾けて搭載しているところなどを含めS600に等しいものだった。

S600からS800への排気量拡大は、絶対的な性能向上が主な目的だったが、副次的にモータースポーツの排気量カテゴリーで、より有利になるようにするとい目論見もあったようである。トランスミッションはフルシンクロ機構を持った4速マニュアル型で、シフトレバーはフロアに置かれる。最高速度は160km/hが可能となり、0〜400m加速は16.9秒と2.0リッター・クラスのGTやスポーツカーに匹敵する高性能を示した。

アメリカ市場の要請から生まれたシャフトドライブ形式

 S800は発売後、僅か4ヶ月で重大な設計変更を実施する。Sシリーズの特徴だったチェーンドライブ方式から一般的なシャフトドライブ方式への変更である。シャフトドライブ化にともないサスペンションの構造はアクスルハウジングを上下2本ずつのトルクロッドで吊り、パナールロッドで左右の位置ぎめする方式になった。この設計変更はアメリカへの本格的な輸出を睨んでのリファインだったと言われている。

 製造物責任の考え方が浸透しているアメリカでは、アルミ製サスペンションとも言えたチェーンドライブ方式では耐久性面で不安があり、万が一のときに責任を負いかねる、その判断が信頼性の高いシャフトドライブの導入に繋がったのだ。ちなみにシャフトドライブ機構の設計は当時のアメリカ・ホンダ側のスタッフが担当したと言う。シャフトドライブ化によってデフやチェーンの騒音がなくなり静粛性が高まったのがメリットだったが、サスペンション回りのスペースが嵩張ったため、トランクスペースは狭くなり、その対応でスペアタイヤは全車とも格納ケースをトランク下部に吊り下げる方式となった。

圧倒的な速さ!サーキットで大暴れしたS800

 トップスピード160km/hを実現し、スポーツカーとして一級品のパフォーマンスを身に付けたS800はモータースポーツ・シーンでも大暴れした。791ccの排気量ながら場合によってはふたクラス上の2リッタークラスのライバルを凌駕する速さを見せつける。

 多くのレースで速さを実証したが、なかでも印象的だったのは1967年の「鈴鹿1000kmレース」。S800は総合優勝したポルシェ・カレラ6、トヨタ2000GTに続き、総合3-5位(クラス優勝-3位)を占めたのだ。フェアレディ2000を楽々と抜き去るイエローボディに赤いストライプの入ったS800の姿は、マニアに強烈な印象を残した。この他、1968年の「鈴鹿300kmレース」「鈴鹿500kmレース」でも格上のマシンを押しのけ、堂々の総合3位(クラス優勝)を獲得している。

最終モデル、S800Mデビュー

 1968年5月になって、ホンダS800は最後のマイナーチェンジを受け、S800Mとなった。このタイミングで日本仕様はオープンボディのみとなった。クーペモデルは日本国内では低調な販売を反映して基本的に消滅したのである。しかしクーペは輸出市場ではむしろオープンモデルよりも人気が高かったため海外向けとして存在した。

 安全面の充実も注目ポイントでアメリカ市場への輸出を考慮して、側面に大型のマーカー・ライトが装備され、フロント・ブレーキがサーボ機構付きディスクブレーキに、後輪ブレーキもタンデム・マスターシリンダー装備となった。インテリアでは、計器盤全面にソフトパッドが装備され、ステアリングもウッドタイプを模したプラスチック製とされた。装備が豪華になったのを反映して車両重量は若干増加することになり、旧型S800が720kgだったのに対して35kg増の755kgとなった。最高速度や加速性能には変化は無かった。

欧米で愛された日本車の先駆

 1963年10月にS500の発売に始まるホンダSシリーズの歴史は、1970年5月にS800Mの生産中止でその幕を閉じた(日本向けクーペ仕様はロードスターよりも一足先に、1968年5月に生産を中止している)。ホンダSシリーズはクーペ/ロードスターを含めて総計2万5853台が造られたと言われるが、その半数以上がヨーロッパやアメリカなど海外へ輸出された。日本初の小型スポーツカー、ホンダSシリーズの本質を見抜いたのは、アメリカやヨーロッパの人達だったのである。

 S800のオーナーには多くのセレブが名を連ねた。なかでも有名だったのはモナコのグレース王妃が愛用したS800。グレース王妃の愛車はアイボリーに塗られたフランス仕様のチェーンドライブ・モデルで、スペインの王子からプレゼントされたクルマと言われている。グレース王妃は1967年から1971年頃までプライベートカーとして愛用し、日本の映画雑誌などでもS800とのツーショットが紹介された。未確認だがグレース王妃はアイボリーのS800とは別にイエローボディのS800も所有していたという噂もある。本物を熟知したセレブが評価した事実はS800にとって大きな勲章と言えた。ちなみにあの名俳優スティーブ・マックイーンもS600を愛用していた。

 Sシリーズは、HONDAの名を世界にアピールするのに大きな貢献をしたのは紛れもない事実だ。今日でも、ヨーロッパ各国やアメリカなどには、ホンダSシリーズのオーナーズ・クラブがあり、熱心な活動を続けている。こんな幸せな国産車は他に例が無いのではあるまいか?