ブルーバード1300 【1967,1978,1969,1970,1971,1972】

激しいBC戦争。先進技術を満載した“青い鳥”



新しいファミリーカーの模索

 高度経済成長を謳歌する1960年代半ばの日本。耐久消費財の「三種の神器」はクーラー、カラーテレビ、カーの“3C”に取って代わられ、「モータリゼーション」という言葉も徐々に浸透し始めていた。
 そんな中、日産自動車は中核車となるブルーバードのモデルチェンジを企画する。最大の課題は、いかにしてトヨタ自工のコロナの牙城を崩すかにあった。欧州風のイメージを強調していた410型ブルーバードは、ライバルのRT40型コロナに販売台数の面で大きく水を開けられていた。尻下がりのルックスが日本人には受けない、コロナよりボディサイズが小さく室内空間も狭い、ベーシックモデルの最高速度がコロナより低かった、スポーティなハードトップの設定がない……。原因は色々と考えられた。開発陣はこれらのひとつひとつを検討し、打開策を模索する。
 もう一点、開発陣には大きなテーマがつきつけられた。高速道路の伸長や舗装化による道路網の変化への対応だ。「高速化時代」に則したクルマ造りが、次期型ブルーバードには必要不可欠だったのである。

 さまざまな案が検討された結果、開発陣は先進技術を使う決断を下す。その顕著な策が、日産車初の四輪独立懸架の採用だ。フロントにストラット/コイル、リアにセミトレーリングアーム/コイルを使った足回りは、高い走行安定性と路面追従性を実現した。エンジンも新設計で、OHCのヘッド機構を組み込んだL13型1.3LとL16型1.6Lの2機種を搭載する。スタイリングは尻下がりのルックスから一転し、シャープで彫りの深い“スーパーソニックライン”を構築した。

510型、突然のデビュー

 1967年8月9日、仏滅と長崎原爆記念日が重なり、お盆も間近という日に、510の型式を持つ新しいブルーバードが突然のデビューを果たす。
 一説には、この日にトヨタの首脳陣が休暇をとり、東京を不在にすることが判明したため、「その間に発表してしまおう」と計画したとされる。また、8月18日には“100万円の本格的GT”を称するコロナボディの「トヨタ1600GT」の発表が予定され、その情報を聞きつけた日産が新型ブルーバードの発表を早めたと推測された。真偽の程は定かではないが、日産がトヨタを相当に意識し、新型ブルーバードを発表したことは確かである。一方、生産現場の追浜工場は相当に大変だったようで、当時の状況を知るエンジニアは、「生産を間に合わせるために、突貫工事でラインの構築を進めた」そうだ。

 慌ただしいスケジュールで発表された510型ブルーバードの、ユーザーの評判は予想以上に良かった。自動車マスコミはこぞって1.6Lエンジン仕様の1600SSS(スーパー・スポーツ・セダン)に脚光を当てたが、多くの一般ユーザーは量産モデルの1300に注目する。三角窓を廃したスポーティなスタイリングに俊敏に吹き上がる1.3Lエンジン、そして同クラスのライバル車にはない四輪独立懸架の高級な足回りなどが、ユーザーの心を大いに惹きつけたのだ。デビューから間もなく、510型ブルーバードの販売台数は飛躍的に伸び、たちまち大ヒットモデルに成長した。

積極的な改良作戦。BC戦争の激化

 販売シェアを伸ばす510型ブルーバード。対してライバルのコロナは、ゴールデン・シリーズの追加や価格引き下げなどを断行し、販売台数の維持を図る。そして1970年2月には、RT80型を名乗る4代目をデビューさせた。
 ブルーバードも負けてはいない。1968年10月には1.6Lのダイナミック・シリーズを追加し、翌月にはスポーティなクーペを発表する。マイナーチェンジも頻繁に繰り返し、クルマの新鮮味を維持するようにした。
 510型ブルーバードの登場によって熾烈を極めたBC戦争。この展開は、車種を拡大しながらその後も続いていくことになる。