1987 BMW M3 【1985,1986,1987,1988,1989,1990】

グループA最速を目指した究極の“Mパワー”

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ツーリングカー・レースでの勝利−−
この唯一無二の目的を達成するために、
BMWモータースポーツ(BMW M社の前身)は
3シリーズの2ドアセダンをベースとする
ハイパフォーマンスモデルの開発を手がける。
エンジンは専用の2.3リッター 直4DOHC16Vを搭載。
シャシーやボディにも徹底した改良を図り、
優れたトラクションと空力特性を実現する。
渾身の高性能車は「M3」の車名で1985年に発表。
1987年からはサーキットを舞台に大活躍した。
ツーリングカー・レース用の高性能マシンの誕生

 実用性に優れ、人気の高いBMW3シリース(E30系)に、「M3」と呼ばれる高性能モデルが日本に初めて登場したのは、1986年7月のことだ。ドイツ本国では1985年には発表されていたが、本格的な生産が開始されたのは1986年に入ってからとなった。

車名に付けられた“M”は、言うまでもなくBMWが統括する「BMWモータースポーツGmbH」のイニシャルである。このモータースポーツ・セクションは、BMW本社とは別にモータースポーツ関連のマシンやエンジンをはじめとする部品の専門開発部門として、1972年に設立されている。ツーリングカー・レースやF1、長距離耐久レースに出場するマシンの設計と製造、部品の開発など、BMWが携わるモータースポーツに関係するものを一手に引き受けているセクションである。

 BMW M3は、当時ヨーロッパで盛んになったドイツではDTM、英国はBTCCなどに見られるように、市販車ベースのマシンで争われるツーリングカー・レースへの出場を前提に、グループAの認定(ホモロゲーション)を得るために、1年間で5000台以上を生産することを目標に設計されていた。さらに、同じ時期にツーリングカー・レースで良きライバルであったメルセデス・ベンツ190E2.3-16の対抗馬としての位置づけもあった。BMW M3は、1年間の生産台数規定の5000台をあっさりとクリアし、グループAのホモロゲーションを獲得している。

基本設計が優れていたベース車の3シリーズ

 M3の基となったE30系3シリーズは、BMWの3シリーズとしては、E21系に次いで第2世代となるモデルであり、1982年に発売されている。同一のボディに異なるエンジンを搭載して、モデル・バリエーションを増やす手法は、BMWだけでなく、どこのメーカーでもやっていることなのだが、BMWの場合は最も徹底しているといっていい。

それは、ボディ・バリエーションでは2ドアセダン、4ドアセダン、2ドアカブリオレ、ツーリングの名で呼ばれる4ドアステーションワゴンの4種があり、エンジン・バリエーションでは直列4気筒OHCが排気量1573ccおよび1766ccの2種、直列6気筒OHCが排気量1990cc、2315ccに加えて、経済性を優先させたe(イータ=Economicのイニシャル)仕様の2693cc、さらに2443ccの直列6気筒ディーゼルなど、1985年までには多くのエンジンがそろっていた。

 これだけのバリエーションに対して、同一のボディシェルを大きな破綻なく用いていたのだから、いかに3シリーズの基本設計が優れていたかが知れようというもの。BMWが、ツーリングカー・レースのレーシングマシンのベースとして、新しい3シリーズを用いたのも頷ける。

高度なチューニングを施したボディとエンジン

 直列4気筒エンジンを持つ最初のMシリーズとなったM3では、ボディスタイルにまでかなり大がかりな改造を加えている。それは、リアウィンドウの傾斜角を変えて傾斜を緩くして、トランクリッド後端部に大きなエアスポイラーを付けている。前後のフェンダーは、幅広タイヤをカバーするためと同時に、空力的な効果を向上させるため、外側に張り出したブリスターフェンダーを採用した。前後のスポイラーやサイドスカートは大型化され、その効果をより確実なものとしている。

加えて、ボディ各部のフラッシュサーフェス化(凹凸をなくすること)や形状変更などにより、空気抵抗係数(Cd値)は標準仕様の0.38から0.33へ大幅に向上しているといわれる。車重は1200kgを切っており、標準仕様の318が1000kg前後であるのに比べて重くなってはいるが、ボディやパワートレインの強化分を考慮すれば十分に軽いといえる。

F1直系スポーツエンジンを搭載

 M3の要は何といってもそのエンジンにある。当時のF1用エンジンの直列4気筒ブロックを使用し、4バルブヘッドを組み込んだ専用ユニットを搭載する。エンジン型式はS14と呼ばれる。

シリンダー・ボア93.4mm、ストローク84.0mmで排気量2302ccの直列4気筒DOHC16Vエンジンは、鋳鉄ブロックにアルミニウム製シリンダーヘッドとオイルパンを組み合わせている。クランクシャフトは5ベアリングで支えられ、ピストンやコネクティングロッド、バルブ、2本のカムシャフトなどの細かな部分に至るまで、M3特製のものが使われる。ボッシュ社製の電子制御燃料噴射システムDME(モトロニック)と10.5の圧縮比により、200ps/6750rpmの最高出力と24.5kg・m/4750rpmの最大トルクを発揮する。

トップスピード235km/h、生粋のスポーツモデル

 トランスミッションは2種あり、ZF社製の標準型シフトパターンのものとゲトラク社製のレーシング仕様がある。いずれも5速マニュアルのみ。サスペンションは前がマクファーソンストラット/コイルスプリング、後がセミトレーリングアーム/コイルスプリングとBMWの常套的な設計だが、バランスに優れていることはトップクラスといえる。

ブレーキは前がベンチレーテッドディスク、後がソリッドディスクの組み合わせ。タイヤは205/55VR15サイズが標準装備される。駆動方式はフロント縦置きエンジンによる後2輪駆動で、4輪駆動の設定はない。

 性能的には、Mのイニシャルを持ったBMWのスポーツモデルにふさわしい高度なもので、最高速度は235km/h、0→400m加速15.3秒、0→1000m加速27.2秒と発表されていた。2.3リッタークラスのモデルとしては抜群の高性能である。主戦場となるドイツ・ツーリングカー選手権(DTM)では、メルセデス・ベンツ190E2.3-16と熾烈なチャンピオン争いを演じ、ツーリングカー・レースの人気を高めることに成功した。

史上最高のロードゴーイング3シリーズに昇華

 ボディ剛性やエンジン、サスペンションなどを大幅に強化したホモロゲーションモデルのBMW M3は、市販が開始されるや世界的な品薄状態を引き起こすほどの高い人気を集めた。熱烈な3シリーズの信奉者にとっては、史上最高のロードゴーイング3シリーズであったことは間違いない。M3は、メーカーの記録によればホモロゲーション取得台数を大きく超える約1万8000台が1991年までのあいだに量産されている。

 M3は日本にもディーラーを経て正式に輸入されていた。E30系の標準型3シリーズである直列4気筒エンジンとマニュアルトランスミッション付き318iの2ドアセダンが382万円だったのに対して、M3は658万円と高価だったが、初期ロットは短期間に完売したという。今日でも敢えて初代のM3に乗りたいというファンは決して少なくない。それだけ完成度も高く、純粋なスポーツセダンとして大きな魅力を持っているというわけだ。

COLUMN
M3の開発を主導した BMWモータースポーツとは−−
 BMWは1972年になって、モータースポーツ部門の開発・生産・運営を担う子会社、「BMW Motorsport GmbH」(以下、BMWモータースポーツ)を設立する。BMWモータースポーツの最初の行動は、ヨーロッパF2選手権とヨーロッパ・ツーリングカー選手権(ETC)への本格参戦だった。 F2ではエンジン・サプライヤーとしてM12/6ユニットを開発し、これをマーチシャシーに積んでドライブしたジャン=ピエール・ジャリエ選手が1973年シーズンのチャンピオンに輝く。ツーリングカーは、ドイツ・フォードの監督を務めていたヨッヘン・ニーアパッシュ氏を引き抜くなどして体制を強化。マシンは新たに3.0CSLを開発し、1973年と1974年シーズンで年間チェンピオンを獲得した。1980年代に入ると、F1エンジンの開発を本格化させ、1983年シーズンではブラバムBMWに乗るネルソン・ピケ選手がチャンピオンを奪取する。 ツーリングカー選手権では1982年に528iが、1983年には635CSiがタイトルを獲得。1987年から1990年にかけては、ここで取り上げるM3がレースでの主役となった。BMWモータースポーツはホモロゲーションモデルの開発も積極的に行う。1979年には初の市販車となる「M1」をリリース。1983年にはM635CSi(E24)を、1984年にはM535i(E28)を、1985年にはM3(E30)とM5(E28)を、1988年にはM6(E24)と新型M5(E34)を発表した。1993年になると、BMWモータースポーツは社名を「BMW M GmbH」に改称。その活動範囲はいっそうの広がりをみせていったのである。