1600GT 【1967,1968,1969】

コロナの皮を被ったリトル2000GT!

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ヤマハと共同開発したDOHCエンジン搭載!

 トヨタを代表する“羊の皮を被った狼”、それがコロナHT(RT50系)をベースにしたスポーツモデル「トヨタ1600GT」である。エンジン開発は、当時世界レベルの本格的GTとして登場した「トヨタ2000GT」などで提携関係にあったヤマハ発動機に依頼した。
 期待のエンジンは、コロナ1600S (RTR51)用の水冷直列4気筒OHVエンジンの排気量を1587ccに拡大すると共にシリンダーヘッドをDOHC化するなどの大幅な改良を加えたスポーツ心臓。9.0の高圧縮比とソレックス・キャブレター2基を装備した高度なチューンアップ・ユニットである。パワースペックは110ps/6200rpmの最高出力と14.0kg・m/5000rpmの最大トルクを実現した。シャシーやボディも強化され、トランスミッションには1600Sと同じ4速型のほか、2000GTと共通の5速型の2仕様があった。4速型搭載モデルは「GT4」、5速型は「GT5」と呼ばれる。さらに、最終減速比(デファレンシャル・ギアのギア比)も4種が揃えられ、デファレンシャル・ギアを組み替えることで加速性能やトップスピードを調律することができた。

高出力に対応し各部強化

 ブレーキはフロントにディスク・ブレーキ(無論、ベンチレーテッドではなくソリッド型であるが)が標準。リアはドラム型のままであるが、ブレーキ・システムには強力なサーボ機構が装備された。サスペンションなどは基本的にコロナ1600S用を大幅に強化して用いていた。後輪は高められたトルクに対処して、国産車としては珍しいトルクロッド(加・減速時の車体の姿勢変化を抑えるための装置)が追加装備されている。タイヤも高速走行を考慮して、ノーマル仕様よりもワンサイズ太い6.45S-14サイズのバイアスタイヤが装備された。

レースで磨いた実力と速さ

 トヨタが満を侍して登場させたトヨタ1600GT (RT55M)だが、このモデルの直接の基となったのは、1966年にトヨタ自動車がワークスチーム用として開発した純粋なレース用マシンの「RTX」であった。RTXが姿を現したのは1966年の第4回クラブマン富士レース。いきなりデビューウィンを飾り、戦闘力の高さを見せつけた。正式市販直前の1967年鈴鹿12時間耐久レースでも強豪を抑え総合優勝している。1968年からは本来の“トヨタ1600GT”の名でレースに出場し数々の勝利をものにする。なかでも印象に残る闘いは、1969年5月3日に行われたJAF・GP。スカイラインGT-Rの初陣となったレースだ。性能スペックで大幅に1600GTを凌駕し必勝態勢を敷くGT-Rに対し、1600GTはどうみても劣勢だった。しかしレースは魔物である。スタートダッシュを決めたのは高橋春邦選手のトヨタ1600GT。その速さは圧倒的でGT-Rとの差は開くばかり。GT-R勢は周回遅れの選手を使い高橋選手の1600GTをブロック。なんとか追い上げるがチェッカーフラッグを最初に受けたのは1600GT!
 最終週の高橋選手の走行が、GT-Rへの走路妨害とみなされ、結果としてはGT-Rが勝利を収めたこととなったが、速さで勝ったのが1600GTであることは誰の目にも明らかだった。サーキットを埋め尽くしたファンは、高橋選手と1600GTに惜しみない拍手を贈ったという。

 1600GTの価格は「GT4」で96万円、「GT5」で100万円ちょうどとかなりリーズナブルな価格で売り出された。破格のバーゲンである。しかし、世界的なレベルで見てもきわめて高性能だったトヨタ1600GTも、2000GTの脇役と見られていたフシは否めない。さらに、1968年にコロナ・マークII(RT60系)が登場したことで早々に生産を中止してしまった。隠れた名車といって良いだろう。