ホーミー 【1965,1966,1967,1968,1969,1970,1971,1972,1973,1974,1975】
プリンス自工が開発した高性能マイクロバス
戦前・戦中の立川飛行機を源流とし、日本屈指の高い技術力を誇ったプリンス自動車工業。同社は東京電気自動車、たま電気自動車、たま自動車、プリンス自動車工業(旧)、富士精密工業を経て、1961年2月にプリンス自動車工業となるが、変遷のなかで一貫して開発に力を入れてきたモデルが、市場で高い需要を誇る小・中型車クラスのトラックおよびバンだった。
富士精密工業時代の1958年10月、同社は新しいキャブオーバー型小型トラック&バンの「クリッパー」(AQTI型系)を発売する。楕円形のホールを上下2列に3つずつ配したユニークなフロントマスクに、優れた動力性能を発揮するGA30型1484cc直4OHVエンジン(60ps)を搭載したクリッパーは、たちまち市場での好評価を獲得した。メーカー側も、この人気に対応して車種ラインアップを強化。1960年7月には70psを絞り出すGA4型エンジンを積んだAQTI-2型系を、1961年2月にはGB30型1862cc直4OHVエンジン(80ps)を採用した中型トラックのスーパークリッパー(BQTI型系)を、1962年5月にはロングボディの追加などの改良を施したBQTI-2型系をリリースする。また、ボンネット型小型トラックのマイラー(ARTH型系。1957年9月デビュー)についても、1962年8月のマイナーチェンジでT431型系の2トン積スーパーマイラーとT430型系の1.25トン積ライトマイラーに移行させた。
既存の小・中型商用車のラインアップを矢継ぎ早に拡充させていった1960年代前半のプリンス自動車工業。その一方で、開発現場では新しい小型トラックおよびバンの企画も鋭意、推し進められる。ターゲットに据えたのは、クリッパーのワンクラス下のキャブオーバー型カテゴリーだった。
新しいキャブオーバー型トラック&バンを設計するにあたり、プリンス自工の開発陣は“採算設計”と“人間尊重設計”という2つのテーマを掲げる。具体的には、1:荷台は可及的大面積とすること。そのうえで積みやすく、疲れない荷台高を人間工学から決定して採用すること 2:エンジンは充分な余力を持ち、しかも経済的な1500ccクラスとすること 3:乗用車のソフトな乗り心地を与え、運転席の居住性を高めるとともに、疲労の原因を排除すること 4:給油(グリスアップ)期間を延長し、乗りっぱなし可能とすること。 5:十分な耐久性と親しみのもてるスタイルを備えること、などの実現を目指した。
採算設計に関しては、1.25トン積トラック最大の2.75mという荷台寸法、S50型系スカイライン1500に積むG-1型1484cc直4OHVと同形式の70psエンジンの搭載、シンクロメッシュ式の4速MTの採用、同クラス最小の4.8mの最小回転半径、3万kmまたは1年間の無給油(グリスアップなし)を実施。また、人間尊重設計については、エンジンの30度傾斜搭載による低くて広い室内スペース(1人当たり480mm)の確保、路面追従性に優れる乗用車と同様の前輪独立懸架のサスペンションとプログレッシブレートの後輪リーフスプリング、日本人の成人男子の平均身長から算出した71.5cmの荷台地上高、などを創出する。
内外装にも工夫が凝らされ、くぼみの中に配した丸目2灯式ヘッドランプや8穴タイプのフロント楕円エアインテーク、曲面タイプの大型フロントガラス、ツートン仕様のボディカラー、80mmの前後スライドを有する運転席、大容量のグローブボックスなどが採用された。
プリンス自工の新しいキャブオーバー型トラック&バンは、「ホーマー」の車名を冠して1964年9月に市場デビューを果たす。車種ラインアップは、トラックのT640型系とバンのV640型系を用意。“充分な余力”を謳った最高速度は、クラストップレベルの105km/hを誇った。
余裕のある動力性能や快適な室内スペース、さらに経済性に優れたメカニズム(グリスアップのほか、エンジンオイルや交流式ジェネレーターなどの交換期間も延長していた)などで市場での注目を集めた640型系ホーマー。この人気を維持しようと、プリンス自工の開発陣はホーマーをベースとした15人乗りのマイクロバスを1965年10月にリリースする。車名は既存のHomerにmyを付け、“私のホーマー”を意味する「ホーミー」とした。
V640型系バンと比べてボディ長を295mm引き伸ばし、3/3/3/3/3名乗りの5列式シートを組み込んだB640型ホーミー。2列目左と3/4列目中央のシートには格納機構、ベンチ式の5列目シートには可倒機構を備えた室内空間は、利便性と快適性の高さで好評を博す。また、小型マイクロバスとしては軽めの車重(1580kg)に仕上がっていたため、最高速度はホーマーと同様の105km/hを発揮した。さらに、前・独立懸架/後・プログレッシブレートスプリングの組み合わせがもたらすフラットな乗り心地やフロア面ぎりぎりまで下げられたリアドアのアレンジも、ユーザーから高く評価される。ホーミーのカタログでは、「“15人乗りのセダン”と呼びたい」と謳っていた。
プリンス自工は1966年8月になると日産自動車に吸収合併されるが、それに伴いホーミーも「ニッサン・プリンス・ホーミー」に車名変更される。さらに1970年にはプリンスの名も省かれ、単に「ニッサン・ホーミー」を名乗るようになった。ちなみに、1970年には道路交通法施行規則の改正により普通免許で運転できる自動車の乗車定員が10名以下に変更され、11名以上のマイクロバスは大型自動車免許が必要となった。
1976年1月になると、ホーミーはE20型系キャラバンの兄弟車として再出発を図る。販売ディーラーは、もちろんプリンス店系列が担当した。その後もホーミーは、E23型系(1980年8月デビュー)やE24型系(1986年9月デビュー)と時を重ね、新世代ミニバンのE50型系(1997年5月デビュー)にも「ホーミー・エルグランド」の名が冠せられる。そして、1999年6月に実施されたE24型系のマイナーチェンジの際に、ホーミーはキャラバンに統合される形で消滅。同年8月には、ホーミー・エルグランドもキャラバン・エルグランドともに「ニッサン・エルグランド」に一本化された。この時点で、ホーミーの車名は新車市場から姿を消すこととなったのである。
約34年もの長きに渡って使用され、スカイラインやグロリアなどとともにプリンスの遺伝子を伝え続けたホーミー。2003年8月にはOEM供給を受ける軽商用車では往年の「クリッパー」の車名が復活した。もしかするとホーミーの名も再び陽の目を見る日がくるのかもしれない。