セリカ 【1977,1978,1979,1980,1981】

エアロデザインの2代目



新価値スペシャルティカーの開発

 量産車のシャシーに、スポーティなスタイリングのボディを被せる--こうしたアメリカのスペシャルティカー造りを日本でいち早く採用したトヨタ自工は、1970年10月にセリカをデビューさせて日本でのスペシャルティカー市場を切り開いた。しかし1970年代中盤に入ると、ユーザーニーズの多様化やライバル車の出現などでセリカの販売シェアは落ち込み始める。そんな状況の中、トヨタ自工の開発陣は新たな目標を持って2代目セリカの企画を立ち上げた。

 新型を企画する際に最初に計画したのは、スペシャルティカーの明確なカテゴリー分けだった。メインのセリカに加え、上級版のスペシャルティカーを設定しようとしたのである。セリカに関しては当時流行の“エアロダイナミクス”を駆使し、空力に優れたボディデザインを構築する。さらに、高品質・高性能のスペシャルティに仕上げることを目指した。一方の上級版については、ベンチマークに6気筒エンジンを搭載する日産自動車のフェアレディZを据え、セリカ・ベースのグランドツアラーを新たに仕立てる目標を掲げる。また、主力市場となるアメリカの嗜好を存分に加味する旨の決定も下された。

空力特性の優秀さを強調

 2代目となるRA40/TA42/TA41型系セリカは、1977年8月に市場デビューを果たす。ボディタイプは従来モデルと同様に2ドアクーペと3ドアリフトバックを設定。エンジンは2Lと1.6LのDOHCユニットをメインに2L・OHC、1.8L・OHV、1.6L・OHVをラインアップする。シャシーに関しては基本的に初代モデルの改良版だったが、ボディサイズは初代よりひと回り大きくなっていた。ちなみに上級版のセリカ(MA46/45型)は、1978年4月に“XX”のサブネームを付けて発売されることとなる。

 2代目セリカを見て、ユーザーが最も注目したのは「答えは風の中に--」のキャッチが冠せられたスタイリングだった。スラントしたノーズに三次曲面のウィンドウ、空気力学を追求したラインなどで仕上げたエアロダイナミクスボディが、スペシャルティカーの新時代の到来を実感させたのである。インテリアの演出も凝っており、ライトブラウン/ブルー/ブラックの3タイプでカラーコーディネートしていた。
 走りに関しては、当時の2000GTグレードのユーザーによると「予想以上によく走った」という。排出ガス規制をクリアした18R-GU型エンジンはDOHCらしからぬ太いトルクを発生し、アクセルワークに対する反応も俊敏。さらに、改良版のシャシーがコントローラブルで卓越したコーナリング性能を発揮した。

ライバルの激しい追い上げ

 2代目セリカは好評をもって市場に受け入れられ、販売台数を伸ばしていく。その人気にメーカー側も応え、1978年3月には国産量産車初のサンルーフ仕様(リフトバックGT/GTVに設定)を追加。同年4月には昭和53年排出ガス規制をクリアした2T-GEU/13T-U/12T-U型エンジンに、9月には18R-GEU型エンジンに換装する。また装備を簡素化したスパルタンなベースモデルも設定し、1978年9月には2000GTラリーを、同年11月には1600GTラリーを発売した。
 このままスペシャルティカーの王座に君臨するかに見えた2代目セリカ。しかし、1979年3月にデビューしたライバル車によって、その地位は危ういものとなる。日産自動車が1980年代のスペシャルティカーを目指して開発したS110型系シルビア(3代目)/ガゼール(初代)が登場したのだ。流行のウエッジシェイプにスポーティな装備を施したシルビア/ガゼールは、たちまち若者層の大人気車となった。

 トヨタも対抗策として1979年8月にセリカのマイナーチェンジを敢行し、内外装のデザイン変更や装備の充実などを実施する。さらに1980年8月には、GT系のリアサスペンションにセミトレーリングアームの独立懸架を採用した。広告やカタログに使われたキャッチコピーも刺激的で、「名ばかりのGT達は、道をあける」「ツインカムを語らずに、真のGTは語れない」など、カムを1本(OHC)しか持たないスカイラインGTを含めたライバル車に対する挑戦状ともいうべきフレーズを並べたのである。
 国産スペシャルティカーの覇権争いに凌ぎを削った2代目セリカ。この戦いは、3代目のSA60/TA63/TA61型系になっても引き続き展開されることとなった--。