セルボ・モード 【1990,1991,1992,1993,1994,1995,1996,1997,1998】
上質を追求した、こだわりK-CAR
1980年代後半の日本の自動車業界。豊富な開発資金をバックに、主要メーカーはクルマの上級化に驀進する。その流れはボトムラインである軽自動車にも波及した。
軽自動車カテゴリーのトップメーカーである鈴木自動車工業は、上級軽自動車を検討する際に他社に採用されている“4気筒”エンジンの優位性に注目する。3気筒に比べて回転フィールが上質で静粛性にも優れ、過渡トルクも厚くできる4気筒の形式は、上級軽自動車の心臓にふさわしいユニットと考えられた。
4気筒エンジンを企画するに当たり、鈴木自工の開発陣は二輪車で培った開発ノウハウを生かした上で、F6A型直列3気筒ユニットの技術をベースにする計画を打ち出す。ボアピッチは基本的にF6Aを流用し、さらに各シリンダーとの間を狭めるなどして、ボア×ストロークは65.0×49.6mmのショートストロークタイプに設定。ヘッド機構はアルミ合金製のクランクシャフト2本=DOHCに1気筒当たり4つのバルブ(計16バルブ)を組み込んだ。点火方式はデスビを持たないダイレクトイグニッション式。2番と4番の上にイグニッションコイルを1個づつ設け、1番は4番のコイルから、3番は2番のコイルから短いプラグコードを介して点火させる仕組みを開発する。またF6A型と同様、インタークーラー付きターボチャージャーも組み込んだ。
新開発の4気筒エンジンは“F6B”型と名づけられ、CN21S型アルトをベースにしたシャシーに搭載される。ただし、エンジンのマウント系には新設計のパーツを使用した。
スタイリングは、ハッチバックのボディ形状を基本に丸みを帯びた優しいデザインを採用する。インテリアは小型車に匹敵する快適アイテムを備えたことが特徴で、シートや内装の表地にもクオリティの高い素材を使用した。
鈴木自工の新しい上級軽自動車は、1990年7月に市場に送り出される。車名は“セルボ・モード”。従来のセルボはスペシャルティカーの代名詞だったが、モードのサブネームを付記した新モデルは上質感を強調したモデルに変身していた。
セルボ・モードの車種展開は、3/5ドア(5ドアのセダンは1990年11月から販売)の2ボディ、F6B型658cc直4DOHC16Vターボ/F6A型657cc直3OHC12Vターボの2エンジン(セダン登場時に自然吸気エンジンも登場)、5速MTと3速ATの2ミッション、FFとフルタイム4WDの2駆動方式で構成する。またセルボ・モードは、クラスで初めて4輪ABS装着車を設定したモデルともなった。
デビュー当初のセルボ・モードは、ターボ系が男性ユーザー、自然吸気系が女性ユーザーをメインターゲットに据えて販売される。クルマ好きが特に注目したのは、F6B型エンジンを採用し、強化サスペンションやピレリP700タイヤなどのスポーツアイテムを満載した“SR-FOUR”グレードで、レブリミット1万500回転という高回転型エンジンは、「さすがはスポーツバイクも作っているスズキ」と好評を博した。
上級軽自動車のセルボ・モードをリリースして、市場シェアを伸ばそうとしたスズキ(1990年10月に鈴木自動車工業からスズキへと社名変更)。しかし、販売成績は予想外に伸びなかった。当時の販売スタッフによると、「当時のユーザーは、上質感よりも車両価格や維持費の安さに魅力を感じて軽自動車を購入していた。そんな層に、セルボ・モードはアピールしなかった」と解説する。また「F4Bは高性能だったものの、燃費やエンジンのピックアップに関しては高い評価が得られなかった」そうだ。
打開策として開発陣は、セルボ・モードの様々な改良や車種追加を実施する。1991年9月にはサイドドアビームや室内難燃化材などを採用して安全性を向上。1992年6月には車種ラインアップの充実や特別仕様車のSセレクションを発売する。1994年に入ると、4月に安全性のさらなる向上(リア3点式シートベルトの採用など)やサンルーフ仕様の追加を、6月に西武グループとのコラボレートモデルとなる“ロフト”仕様の発売を行った。1995年10月にはマイナーチェンジを図り、内外装の意匠変更などを実施する。
1996年8月になると、当時流行していた“レトロ調”の内外装を施したセルボ・モード・クラシックがリリースされる。外装にはメッキパーツ、内装には木目調パネルやプロテインレザーシートなどを装着したクラシック仕様は、ベースモデルよりも高い人気を獲得した。
4気筒という新エンジンまでも開発し、上級感にこだわったセルボ・モード。しかし、ワゴンR(1993年9月デビュー)にユーザーの目が集中したこともあって、販売成績は伸び悩み続ける。結果的にセルボ・モードは、軽自動車規格の改正に伴う車種の再編によって、1998年に生産中止となるのであった。