マイティボーイ 【1983,1984,1985,1986,1987,1988】
斬新コンセプトの2シーター・ピックアップ
1983年2月、スズキは同社の軽スペシャルティカーであるセルボ(Cervo)をベースとした2人乗りのピックアップトラック(商用車)をマイティボーイ(Mighty Boy)と名付けて発売した。車名のマイティボーイとは、直訳すれば“力持ちの少年”という意味だが、このクルマでは“元気少年”くらいの軽いネーミングだと思われる。
軽自動車というジャンルは、日本のクルマ社会の中で、税制上の有利さや絶対的に車両価格が安価なこと、さらに燃費の良さなどで極めて有用な存在として大きな地位を築き上げている。マイティボーイは軽自動車にさまざまな可能性があることを気付かせた意欲作だった。
マイティボーイは、スズキ独特の時代の流れを巧みに捉えた自由な発想によるクルマ造りの成果だった。スズキは1979年5月に商用車(ボンネットバン)仕様で47万円という低価格を実現したアルトを発表。軽自動車を復権させる。マイティボーイは、それに続く存在。パーソナルクーペの第2世代セルボをベースとし、2シーター・ピックアップとした個性派だった。
メカニズムなどは基本的にセルボのまま。フロントに水冷直列3気筒SOHCで排気量543cc(28ps/6000rpm)を置き、前2輪を駆動する。トランスミッションは4速マニュアルを基本に、2速オートマチックも選択出来た。
サスペンションは前がストラット/コイルスプリング、後が縦置き半楕円リーフスプリングによる固定軸となっていた。後輪のリーフスプリングは積荷に対応して硬くされていた。ブレーキは前後ともドラムブレーキで、タイヤは5.20-10サイズのバイアスタイヤが装備される。
スタイリングは、左右のドアを含んでBピラーまではセルボのままであり、その後のルーフとサイドウィンドウ部分を切り取り、200kgまでの積荷が出来るオープンの荷台を設けてある。コックピットと荷台部分には大きなリア・ウィンドウの付いたバルクヘッドを設け、2人乗りのピックアップとしていた。
上級グレードのLタイプでは、荷台部分をカバーするプラスチック製のサイドカーテンとソフトトップ状のデッキカバーを用意。全長と全幅は軽自動車規格(全長3195mm×全幅1395mm×全高1290mm、ホイールベース2105mm)だったから、荷台のサイズは必然的に小さくなり、縦660mm、幅1170mm、高さ365mmと狭かった。まあ、こんな荷台に本気で荷物を積み込もうという無粋な(?)オーナーはいないと思われるが。
スズキがマイティボーイを造った狙いは、財布の軽い若者にも気軽に買える価格で、しかも乗って楽しく、遊びの可能性を大きく拡げることのできるクルマの開発だった。したがって、マイティボーイはラジオやライターもオプション設定として、価格の引き下げを図ったAタイプが用意され42万円という、当時の四輪自動車としては最も安価な価格を実現していた。
若者にお洒落で便利なクルマを届けたいという企業努力の産物である。マイティボーイのコマーシャルに使われた「スズキのマー坊とでも呼んでくれ。」というフレーズは、その辺りの事情を明快に示している。
マイティボーイは、数はそれほど多くないものの熱烈な信奉者を生む。軽快な2シーターパーソナルカーとして愛された。セルボと共通の直列3気筒エンジンは充分にパワフルで、軽量なことからセルボより走りが俊敏なことも好評の理由だった。
1985年マイナーチェンジ以降の後期型になると走りを支える装備が充実する。上級版のLタイプは、12inサイズのラジアルタイヤやフロントディスクブレーキ、タコメーター、5速ミッションを採用。シートも鮮烈なレッドカラーのバケットタイプが標準装備となった。
ハロゲンランプやフロントエアダムスカートもオプションで装着可能となり、セレクティブ方式の4WDもラインアップに参加。走りの機能がぐっと充実した後期型は2シーター・パーソナルピックアップの完成形と言えた。
徹底した遊び心から生まれたマイティボーイだったが、時代と社会がそれに追い付かず、「マー坊」が正しく理解されることは無かった。珍車の一台である。