ギャラン 【1973,1974,1975,1976】

上級シフトした国際派2代目モデル

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上級モデルに移行した2代目

 シャープなスタイリングと、パワフルな走りで好評を博したギャランは1973年6月に2代目にモデルチェンジした。
 2代目ギャランは、従来の1400/1600/1700シリーズから、1600/1850/2000シリーズへと上級移行していた。すでに1973年2月に1200/1400(後に1600シリーズも追加)の排気量レンジをカバーするランサーを投入したことで、販売上のバッティングを避ける意味合いと、米国クライスラー社と提携関係にあった三菱にとって、ギャランが対米輸出(輸出名称ダッジ・コルト)の主力車だったからだ。ギャランの上級移行は必然だったのである。

 2代目ギャランはオーソドックスなFRレイアウトを採用し、サスペンションはフロントがマクファーソンストラット式、リアが半楕円リーフ式を踏襲。ボディタイプは4ドアセダンと2ドアハードトップ。モデルチェンジとはいえ、すべてを一新するのではなく従来の美点をより磨き込み、エンジン排気量とボディサイズの拡大により走りと快適性をリファインするのが主眼だった。ちなみに全長こそ初代の4020mmから4200mmに180mm大型化していたが、2420mmのホイールベースは初代と共通だった。

クライスラータッチのデザイン採用

 4灯式ヘッドランプを採用しラウンディッシュな面で包んだスタイリングは、上質な印象を大切にしており、とくに個性的ではないもののクリーンにまとめていた。当時のクライスラー各車ともディテール処理が共通しているのは意識的なものだったに違いない。2ドアハードトップはセンターピラーも3角窓もない開放的なウィンドウ回りが特徴。ラウンドタイプの大型リアウィンドウと相まって実際のサイズ以上に大柄な印象を与えた。

 外観以上にクライスラーとの深い関係を伺わせたのが室内だった。3連丸形メーターを配置したインスツルメントパネルは、クライスラーの主力モデルと同一イメージ。スポーティグレードに採用した3本スポークステアリングの造形も大型ホーンボタンを持つ、伝統的なクライスラーのスポーツスタイルだった。

 初代ギャランはどちらかというと機能的な欧州フィーリングをセールスポイントとしていたが、2代目はラグジュアリーなアメリカンフィールが訴求点だった。ちなみに全車にチルトステアリング、中級グレード以上にランバーサポート、チルトシートを標準装備するなど、ドライバーの運転環境をリファインする機能装備が充実していたのも特筆ポイントといえた。

最強ユニットはGTO用と共通

 大幅に実力がアップしたパワーユニットもハイライト部分だった。上級版の1850/2000シリーズはそれぞれ1855cc、1995ccのアストロンと呼ぶ新開発の4気筒OHCエンジンを搭載。それぞれシングルキャブレター仕様とパワフルなツインキャブレター仕様を用意し、最強版の2000GS-II用はギャランGTOと共通エンジンで125ps/6200rpm、17.5kg・m/4200rpmをマークした。車両重量は980kgと軽量だったからパフォーマンスは優秀そのもの。5速トランスミッションとの組み合わせで伸びやかな走りを見せつけた。

 従来ユニットをリファインした1600シリーズにはクリーンな排出ガスのため各種のデバイスを装着したMCA-IIユニット(1597cc/97ps)も設定し、新世代モデルであることをアピールすることも忘れなかった。

操作性と信頼性に惜しみないアイデアを投入

 2代目ギャランは、ドライバーズカーとしてのこだわりを徹底していた。その一例は1本のレバーで5通りの操作が可能なマルチユースレバー。ステアリングコラム右側のレバーでターンシグナル、ライトHi-Lo切り替え、ワイパー、ウィンドウウォッシャー、パッシング操作が可能だった。当時はインパネ上にスイッチを配置したモデルが多かったから実に便利だった。操作時にドライビングポジションが崩れることがなく、シートベルト装着時でも無理なく操作できた。チルトステアリングやランバーサポート、チルトシートなどとともに設計者のこだわりのひとつだった。

 2000GS-IIに装備されたフルトランジスタイグナイタも話題を呼ぶ。プラグの点火を従来のポイント式から無接点式デストリビュータとトランジスタ回路で行う装置で、冷間時のエンジン始動を含め信頼性を大幅に向上させた。これも技術者のこだわりといえた。

 2代目ギャランは1974年8月にライバルに先駆けて昭和50年排出ガス規制適合車をラインアップに加え、1975年2月には対米輸出仕様に準じた内外装を持つ1600GTシリーズを追加するなど積極的な熟成を繰り返した。しかし初代ほどの強い存在感を与えることはなかった。アメリカンイメージがマイナスに作用したのかもしれない。