プレセア 【1990,1991,1992,1993,1994,1995】

センス溢れるパーソナル4ドア

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合理的な戦略が生んだ派生モデル

 日産プレセアは、日産自動車というメーカーの中で採用された「バッジ・エンジニアリング」の結果生み出されたモデルである。バッジエンジニアリングとは、既存車種のコンポーネンツを最大限流用して別の新規モデルを製作する手法。プレセアのベースとなったのは、直列4気筒エンジンを搭載するサニーであった。

 プレセアの位置付けは、上級車ローレルの小型版であったローレル・スピリットの後継モデルであり、5人乗りの3ボックス型4ドア・ハードトップのスタイルを持つ。直接的なライバルとなるのは、同年代のトヨタ・カリーナEDや、ホンダ・インテグラ、マツダ・ユーノス300などであったが、ライバル各車よりもコンパクトなサイズをセールスポイントとしていた。

主力エンジンは1.8リッター

プレセアは、この時代のブランニュー日本車の多くと同様、増え続ける販売店ネットワークに対処する必要から、同じクラスのモデルのコンポーネンツを流用し、異なるブランドのモデルとして登場させたものと言えた。国内専売で発表は1990年6月である。

 基本的なシャシーコンポーネンツはサニー系のものを流用しながら、ホイールベースは70mm延長して2500mmとなっていた。フロントに横置きされ前2輪を駆動するエンジンは、サニーと共通の1.5リッター(94ps/12.8kg・m)、ブルーバードから流用した1.8(110ps/15.3kg・m)および2.0リッター(140ps/18.2kg・m)の3種が存在したが、主力となる1.8リッター仕様では直列4気筒DOHCの排気量1838ccの電子制御インジェクション仕様。トランスミッションは4速オートマチックと5速マニュアルの2種から選べた。ブレーキはディスク(前)とドラム(後)の組み合わせで、ABSがオプション設定となっていたのは時代性の表れである。

魅力は上品なスタイリング

 スタイリングは、4ドアセダンのスペシャルティカーを狙ったもので、ライバル車の多くがピラーレス・ハードトップのスタイルを採るのに対し、敢えてBピラーを持つピラード・ハードトップのスタイルとされた。スタイリング・デザインそのものは、室内空間の確保よりも、どちらかと言えば外観のスマートさを狙ったもので、特にラジエター・グリルを廃し、横長の楕円型凹面レンズを持ったヘッドライトを持つフロント・エンドのデザインは、1980年代末に登場した日産のフラッグシップ、インフィニティQ45との強い共通性を感じさせるものだった。

 外観のスマートさに比べ、室内空間の広さは十分とは言えず、特に後部座席の頭上空間の不足は否めなかった。しかしファミリー指向のモデルではなかったため大きな弱点とはいえなかった。むしろパーソナル感を高めるポイントとなっていた。内装の仕上げはこのクラスでは最上級と言える入念なもので、特にエンジンや路面からの遮音には特別製の遮音材を開発して使用していた。

選ぶ楽しさ満載のインテリア

 パーソナルカーとしての贅沢さを追求したプレセアの個性はインテリアに表現されていた。主力グレードのCT.IIでは7種もの仕様から選べた。スポーティな風合いを持たせたツイード仕様とドレッシーなモケット仕様には、それぞれライトブラウンとオフブラックの2色を設定。メーカーオプションとなる本革&専用クロス仕様もオフホワイトとオフブラックの2色から選べた。バケット調シートを装備するスポーツ仕様は精悍なオフブラックのみだったが、シート中央にダークグレーのアルカンターラ風素材を組み合わせることでお洒落なイメージを訴求していた。デザインはもちろん素材などの細部までデザイナーがこだわったプレセアの室内空間は実に居心地がよかった。

 モデルバリェーションはCt-IおよびCt -IIの2種をメインに3種のエンジンを組み合わせる車種構成で、価格は129万円から189万5千円となっていた。プレセアはデビュー直後好調な販売成績を収めるが、パーソナルセダンの時代は永くは続かず、しだいに販売は低迷する。1回目のモデルチェンジを経た2000年8月に生産を中止している。