NSX 【1990,1991,1992,1993,1994,1995,1996,1997,1998,1999,2000,2001,2002,2003,2004,2005】
ホンダの頂点!心を解放する新世代スーパースポーツ
ホンダがNSXと呼ぶ高性能スポーツカーを正式デビューに先立ち発表したのは、日本がバブル景気に沸き上がっていた1989年の北米シカゴ・ショーこと。「NSX」のネーミングは、New Sport X(新時代を象徴する究極のスポーツカー)のイニシャルからとったという、いささか拍子抜けするほど単純なものだが、そこもまた旧来のセオリーに拘らない、いかにもホンダらしいところだ。
NSXのコンセプトが公表されたとき、「いよいよホンダもフェラーリやポルシェに本気で戦いを挑むことになった」と言われたものだが、ホンダとしては、1990年代に向けてスポーツカーの新しい世界を開拓することを目標にしていただけのことだった。
結果的にフェラーリやポルシェがライバルになったのだが、それはNSXが実際に世界を走り始めてからのことである。ホンダならではの明確なコンセプトの下で開発が進められたNSXは、一切の妥協を許さない、きわめて完成度の高いスポーツカーだった。
NSXはカタログの冒頭でこう語りかけた。「ホンダが新しいスポーツカー像としてNSXに求めた考え方が“解放するスポーツ”である」。NSXはオールアルミニウムボディの採用によって圧倒的な軽量化を達成。この思い切った発想から生まれた“パフォーマンス・コンセプト”によって高度な運動性能を実現。それを主軸にしながら、さらにドライビングを解放する2つの軸を定義した。
ひとつはさまざまな路面状況(ドライ・雨・雪・風……)への適応力を持ち、人間の能力の及ばない領域でのドライバビリティをバックアップする“ドライビングフィールドの解放“。もうひとつは、あくまで人間が主人公であるという前提に立ちながら、走行中のストレスを軽減することで、ドライバーの持てる力を十分に発揮できるようにする“ドライバーの解放”だった。
この“解放するスポーツ”のコンセプトこそNSXの新しさの源泉だった。NSXはフェラーリやポルシェとは違う価値観でピュアスポーツを造り上げたのである。
NSXは軽量化のためにアルミニウム素材を多用する。ボディのアウターパネル(外皮)はもちろんのこと、エンジン部分は言うに及ばず、シャシーやサスペンションアームなどクルマ全体の約90%がアルミ製となっていた。
車両重量は1350〜1390kgと、この種の高性能スポーツカーとしては相当に軽量な範囲に在る。各種の衝突安全のための装備や快適装備を含んでの重量なのだから、軽量化は十分に果たしている。ホンダは栃木県・高根沢にNSX生産のための新工場を建設した。つまり、それほど一般的な量産車とは隔絶したモデルだった訳である。理想の実現のため生産コストなど度外視したモデルだったことが分かる。
ドライバーの背後に横置き搭載するNSXの心臓、C30A型・V型6気筒DOHC24V・VTECユニットは生粋のスポーツ心臓だった。最高出力280ps(MT)は当時の自然吸気エンジンの究極を実現していた。
10.2の高圧縮比、ボア90mm×ストローク78mmのショートストローク設計に加え、慣性マス及びクランクシャフトメタル負荷を低減する超軽量チタンコンロッド、高回転時のバルブ追従性を高めるステム径5.5mmの細軸バルブ。さらにはニッケルクロムモリブデン鋼を使用したカムシャフト、F1エンジンレベル並みに精度を上げたクランクシャフトなど、少量生産のスポーツカーのみに許された贅沢なアイテムが各所に使われ、ハイパフォーマンスを達成した。C30A型はホンダの高回転テクノロジーをあますことなく投入した逸品だった。
NSXは1990年2月、市販モデルが正式デビューする。全アルミニウム製のフルモノコック構造のボディは、全長4430mm×全幅1810mm×全高1170mm、ホイールベース2530mmで、長く、幅広く、そして低い。
スタイリングはホンダ社内スタッフによるものだと言うが、垂直に断ち落とされ、スポイラーと一体となっているテールエンドの造形やリトラクタブル式ヘッドライトとグリルレスのフロント周りの処理、また、ボディサイドにセットされたエアインテークのアレンジなどにイタリアン・カロッツェリア・ピニンファリーナの影響が随所に見られる。ただし、ピニンファリーナ自身はNSXのスタイリングに具体的に関与したことは公表していない。
インテリアは2名の大人と多少の手回り品のためには十分すぎるスペースを持っていた。一般的に良くあるスパルタンなスポーツカー的な雰囲気は全く感じられず、高級セダンのそれに準じたクオリティの高さを持っていた。サイドウインドウの開閉やドアロックなどはパワー作動であり、フルオート・エアコンディショナー、電動パワーシート、本革張りの内装、BOSE社製サウンド・システム、クルーズコントロールなどが標準装備となっていた。
価格は5速MTで800万3000円、4速ATで860万3000円。当時、国産車中で最も高価なスポーツカーであった。
1992年11月に、タイプRが追加される。タイプRはストリートカーの躾をわきまえながら、ひとたびサーキットに躍り出ればレーシングマシンに変身した。相応のテクニックを持つ、一握りのドライバーたちだけのためにあつらえられた究極のNSXだった。
目指したのはドライバーの高揚。スポーツカーを、ドライバーを刺激し、非日常的な世界にいざなう手段と定義し、陶酔のパフォーマンスを追求していた。そのために開発陣が実施したのは精妙なチューンの積み重ね。なかでも徹底した軽量化は見事だった。
走りに不要なアイテムを潔く排除し、残されたパーツについてもグラム単位の重量減を実施。トータルで実に120kgに及ぶ軽量化を実現したのだ。パワーウェイトレシオは標準仕様の4.82kg/psから4.39kg/psに低下する。これはパワー換算で27.5psものパワーアップに相当した。タイプRの走りは超刺激的だった。軽量化を中心とする開発陣の熱意は感動、興奮を生み、ドライバーを高揚の世界へと誘った。価格は970万7千円だった。
NSXは、その後、幾たびかの改良を加えながらモデルチェンジをすることなく、2005年7月まで造り続けられた。ライフスパンは15年に及び、国産スポーツカーとしては異例の長寿車となった。生産中止の主な理由は、厳しさを増す排気ガス浄化規制への対応が難しくなったことだった。
モデルライフ中の目立った進化は、1992年11月のタイプRの追加と。2002年5月にの大幅改良。エンジン排気量は拡大され、前後のデザインを変更し、ヘッドライトは透明なプラスチック・カバーで覆った固定型となった。
2004年4月に、それまでの栃木工場に代えて三重県鈴鹿市に工場を移転。車両のメインテナンスとサービスを行う体制を築いた。特徴的なことは、時間の経たクルマを工場で診断し、必要なメインテナンスとリフレッシュを行うことができることである。アルミニウムという特殊な素材を使ったボディの補修やエンジン、電気系などの維持にはありがたいシステムだった。
NSXの1990年から2005年までに生産された総計は1万8738台と言われ、国内には7500台ほどが販売された。
日本初の本格的なスーパースポーツカーとして、NSXが果たした役割は決して小さくはない。今日でも日本だけで5000台以上が現役で走り回っていると言う。1963年に登場したS500に始まるホンダのスポーツカー・スピリットは、NSXの中にも脈々と受け継がれていた。日本が世界に誇ることのできる数少ない名車である。