66カローラ1100vs66サニー1000/ライバル01 【1966,1967,1968,1969,1970】

モータリーゼーションを支えた2台の勇者

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“大衆車”という言葉を作った先駆

 カローラ1100とサニー1000は、“大衆車”という言葉を作り出し、日本のモータリーゼーションを牽引した名車だ。良きライバルであると同時に、日本のクルマ作りに大きな影響を与えた存在である。

 カローラ1100、サニー1000は、ともに1966年にデビューしている。発売時期こそカローラが11月、サニーは4月とサニーのほうが半年ほど先んじていたが、1966年に登場したことの意味は大きい。もし両車の登場が数年でも前倒しとなっていたら、これほどの成功は望めなかった可能性が高いからだ。

機は熟した! 1966年デビューの意味

 1960年代前半、日本は高度経済成長の時代に突入する。それに伴い人々の生活は急速に豊かさを増した。1964年の東京オリンピック開催を契機にテレビの普及率は90%を突破。1965年には国民一人当たりの所得は年間33万円に到達し、翌1966年には38万円に増えた。サラリーマンの平均年収が100万円を突破したのは1966年だった。

クルマの普及、つまりモータリーゼーションの爆発は所得額に直結しているというが、日本でも例外ではなかった。1966年、日本の経済状態は、サラリーマンでも無理なくクルマに手が届く状態に到達したのだ。それまで乗用車を購入するユーザーの大半は富裕層かタクシーなどの法人だった。それが一般大衆、すなわちサラリーマン層が主役に替わったのである。そうはいってもサラリーマンが購入可能なクルマは年収の半額程度の価格帯。カローラやサニーは、まさにこの価格帯のニューカマーだった。時代のニーズに合致したからこそ、両車はともに大成功を収めたのである。

トヨタ、日産が送り出す小型車の価値とは!?

 しかし、1966年当時、すでにマツダはファミリアを、ダイハツはコンパーノという1000ccクラスの乗用車を送り出していた。先行デビューしていた2台を差し置き、なぜカローラとサニーが勝者となったのか。それには一般大衆の信頼を求める思いが作用していた。

 マツダやダイハツはオート3輪や軽自動車作りから発達したメーカーである。それに対しトヨタや日産は、戦前から乗用車作りを手掛けてきた名門。その名門が送り出した小型車がカローラでありサニーだったのだ。実際はファミリアもコンパーノもクルマとしての完成度は高かった。

 しかしユーザーのトヨタや日産に寄せる信頼感は絶大だった。クルマという高価な買い物で失敗は許されない。憧れのクラウンやセドリックを作るメーカーの小型車なら間違いない。その心理がカローラとサニーを選ばせたのである。

80点主義のカローラ

 カローラとサニーを比較すると、クルマとしての設計思想はまったく異なっていた。カローラの設計はパブリカを手掛けた長谷川龍雄氏が担当していた。長谷川氏は、経済性を重視したあまり、合理的でシンプルにまとめすぎたパブリカの反省の上に立って、理想の大衆ファミリーカーを設計する。

 当初からトヨタの主力となるクルマを想定しており、設計は“新80点主義”の基に進行する。新80点主義とは、クルマに求められるすべての要素を合格点となる80点以上にまとめ上げ、さらにどのクルマにも負けない特性を与えることで個性を演出する手法だった。

 カローラの場合、長谷川氏がこだわったのはスポーティな味わい。カローラが当時としては斬新な4速フロアシフトやセパレートシート、そして流麗なファストバック調スタイリングを導入していたのは、この考え方に基づくものだった。サニーの988ccを受けて、エンジン排気量を当初より100cc拡大した1077ccとしたのもスポーティな走りを実現するための戦略だった。

 果たしてカローラは、設計思想どおりのクルマだった。スタイリング、乗り心地、静粛性、室内の広さ、豪華さなどのすべてに高い満足を与えるだけでなく、走りの良さが際立っていたのだ。

軽量設計のサニー

 サニーは、軽快さと信頼性を重視していた。開発当初は850ccクラスを想定していただけにボディサイズは小ぶりで、各部の作りはシンプル。新開発の直列4気筒OHVのA型エンジンは、冷却水やオイルなどを含んでもクラス最軽量の91.5kgに過ぎなかった。車重は僅か625kgと軽量で、トップスピードは135km/hを軽々とマーク。加速性能も俊敏だった。

 しかも新開発とはいえ、A型エンジンのボア径を、オースチンA50時代から連綿と作り続けているエンジンと共通の73mmとすることで高い信頼性を身に付けていた。ちなみにサニーのトランスミッションは当初3速コラムシフトのみ。カローラのような4速フロアシフト仕様が設定されたのはデビュー1年後の1967年に入ってからだった。

 カローラとサニーはクルマとしての味わいはまったく違うものの、良きライバルとして日本のモータリーゼーション発展の主役を務めた。しかもともに日本だけでなく海外にも積極的に輸出され国際車に成長する。2台の功績は計り知れないほど大きい。