A50ケンブリッジサルーン
乗用車作りを学んだ日産の記念碑
日産が“技術の日産”として発展し
世界をリードするクルマを作り出した裏には
よき師の存在があった。英国のオースチンである。
先進の乗用車作りを学ぶため日産は1952年に英国オースチンと提携。
主力モデルだったA40サマーセットサルーンのノックダウンを開始する。
1955年、A50ケンブリッジサルーンに生産車をスイッチしてからは
国産化が進み、1956年8月には完全な国産化を達成した。
日産がオースチンで培った技術はブルーバードやセドリックに発展し、
日本のモーターリーゼーションの牽引者の地位を明確にする。