日産
オースチン
1950年代
1960年代

A50ケンブリッジサルーン

乗用車作りを学んだ日産の記念碑
日産が“技術の日産”として発展し 世界をリードするクルマを作り出した裏には よき師の存在があった。英国のオースチンである。 先進の乗用車作りを学ぶため日産は1952年に英国オースチンと提携。 主力モデルだったA40サマーセットサルーンのノックダウンを開始する。 1955年、A50ケンブリッジサルーンに生産車をスイッチしてからは 国産化が進み、1956年8月には完全な国産化を達成した。 日産がオースチンで培った技術はブルーバードやセドリックに発展し、 日本のモーターリーゼーションの牽引者の地位を明確にする。
ランドローバー
1970年代
1980年代
1990年代

レンジローバー

ランドローバーの上級バージョンとして開発された“魔法の絨毯”
BL傘下のローバー社は1970年6月、 英国南西部にあるミュードン・ホテルにて まったく新しいランドローバー車を発表する。 従来のランドローバーで培った4WD技術に、 多用途性を考慮した2ドアボディと快適性に富む キャビンルームを採用したニューモデルは、 「レンジローバー」を名乗り、 その後、世界屈指の高級4WDに成長する。