日産
1980年代

ローレル

スクエアスタイルを強調した5代目
排ガス規制を完全に克服した1980年代前半、 日産自動車は新カテゴリーの参入に加え、 主力車種のモデルチェンジを積極的に図っていく。 1984年にはアッパーミドルサルーンの ローレルが5世代目に移行した。
日産
1970年代

シルビア

復活した日産のスペシャルティカー
1968年6月に生産を打ち切った 初代シルビアの後、7年ぶりにその名が復活。 2代目はスペシャルティカーとしての資質を継承しながら、 主要パーツを他モデルと共有するなど、 合理化を図ったモデルだった。 トヨタのセリカに対抗する スタイリッシュなモデルとして、高い人気を集めた。
日産
1970年代

キャラバン

日産ワンボックスの旗艦
1970年代に入ってますます商用車の需要が増大。 さらに徐々に浸透し始めた アウトドア・レジャーによって、 ユーザーは大量の荷物と多人数での移動を 1台でまかなえるクルマを求めるようになる。 日産自動車はその回答策として、 大型ワンボックスの開発を推進した。
トヨタ
1970年代

パブリカ

カローラのコンセプトを投入した2代目
1960年代前半のトヨタ自工の大衆車は、 パブリカがその役割を担っていた。 しかし1966年にカローラがデビューすると、 パブリカの主力大衆車としての地位は失われ、 販売台数も落ち込んでいく。 その対策としてトヨタ自工の首脳陣は、 パブリカに別の役割を担わせた−−。
プリンス
日産
1960年代
1970年代

ローレルHT

日産初の流麗2ドアスペシャルティ
国民所得の増加や道路網の整備などで 急速に進展する日本のモータリゼーション。 大衆車で満足していたユーザーは、 次第により上級なクルマを求めるようになる。 そんな状況に対応して日産自動車は、 「ハイオーナーカー」に 流麗なハードトップを設定した。
日産
1980年代
1990年代

エクサ

クルマ版“着せ替え人形”
バブル景気の助走期となった80年代中盤、 日本の自動車メーカーは豊富な開発資金をバックに 車種ラインアップの拡大を積極的に図っていく。 日産はパルサーの一車種だったエクサを1986年に一新。 独立車種としての販売を開始した。
日野
1960年代

コンテッサ・クーペ

ミケロッティと出会った伯爵夫人
1964年9月、日野自動車は、 コンテッサの新型モデル、1300をリリース。 まずはセダンが発売され、 1965年4月、クーペがデビューした。 国際的なデザインコンクールで 多くの栄冠に輝いたクーペは、 ミケロッティ作のスタイリングと、 走りでも注目を集めたRR車の傑作である。
日産
1980年代
1990年代

テラノ

米国デザインのスタイリッシュSUV
1980年代後半に本格的に盛り上がり始めた 日本の「ヨンク」ブーム。 各自動車メーカーも、その流れに対応した 新型車を次々と開発する。 日産は米国で基本デザインを描いた 新種のSUVを1986年にリリースした。
日産
1980年代
1990年代

パオ

日産パイクカーの第二弾
1987年に市販を開始したBe-1で 一大パイクカー・ブームを巻き起こした日産は、 「2匹目のドジョウ」を狙って新型車を開発する。 1987年の東京モーターショーで参考出品、 1989年に市場デビューした新パイクカーは、 PAO(パオ)のネーミングが付けられていた。
日産
1980年代
1990年代

180SX

DOHCターボ搭載ハッチバッククーペ
一世を風靡したS13型シルビアから 遅れること10カ月。DOHCターボのみという スポーティなFRスポーツが登場した。 リトラクタブルヘッドライトを持つ180SX(RS13型)。 従来のS110型およびS12型に設定した ハッチバック仕様の後継モデルだった。