公開済み: 2024年2月12日更新: 2024年2月12日記事カテゴリー: 歴史館 ダットサン日産 1960年代 ブルーバード(312後期型) 【1961,1962,1963】 日産の高い技術力が生きるエポックモデル 記 事 諸 元 ギャラリー 会員登録(無料)でより詳しい情報をご覧いただけます →コチラ 続きを読むにはログインして下さい。 Tweet Tweet 記 事 諸 元 ギャラリー 123
ダットサン日産 1950年代1960年代 日産デザイン02 英国デザインの研鑚からオリジナル造形への発展 公開済み: 2019年12月26日更新: 2019年12月26日記事カテゴリー: 情報館, 各メーカーの歴史
ダットサン日産 1950年代1960年代 スポーツS211 国産スポーツカーのパイオニア 国産スポーツの第一歩となった DC-3から7年が経過した1959年。 沈黙を破り、FRPのモダンなスタイリングを纏った 「ダットサン スポーツS211」が発売となった。 フェアレディを名乗る輸出専用モデルへと 短期間のうちにスライドするが、 そのスピリットは、最新Z-CARへ、 確かに受け継がれていく。 公開済み: 2021年11月29日更新: 2021年11月29日記事カテゴリー: 歴史館
日産オースチン 1950年代1960年代 A50ケンブリッジサルーン 乗用車作りを学んだ日産の記念碑 日産が“技術の日産”として発展し 世界をリードするクルマを作り出した裏には よき師の存在があった。英国のオースチンである。 先進の乗用車作りを学ぶため日産は1952年に英国オースチンと提携。 主力モデルだったA40サマーセットサルーンのノックダウンを開始する。 1955年、A50ケンブリッジサルーンに生産車をスイッチしてからは 国産化が進み、1956年8月には完全な国産化を達成した。 日産がオースチンで培った技術はブルーバードやセドリックに発展し、 日本のモーターリーゼーションの牽引者の地位を明確にする。 公開済み: 2021年10月27日更新: 2021年10月27日記事カテゴリー: 歴史館