三菱WRCの歴史1 【1967,1968,1969,1970,1971,1972】

オーストラリア、サザンクロスラリーで走りを鍛えたWRC前史

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豪州、サザンクロスラリーへの挑戦

 1967年、日本車初の本格ファストバックモデルとして注目を集めたコルト1000Fがオーストラリアへ輸出された。この時、現地ディーラーから「知名度アップのためにラリーにエントリーしてほしい」というオーダーを受ける。すでに1962年にマカオGPにコルト600で挑戦し、クラス優勝を飾った経験を持つ三菱はこれに応え、早速グループ4仕様のコルト1000Fラリーマシンを製作。オーストラリアを代表する「サザンクロスラリー」への参加を決める。サザンクロスラリーは、オーストラリアの荒野を舞台に森林地帯を5日間走りぬく高速ラリーである。1967年の第2回大会に出場したフィアット1000Fは2台。地元の名ドライバー、ダグ・スチュアート選手とコロン・ボンド選手がドライブした。2台は初参加ながら安定した走りを見せ、最終的に1台が総合4位に食い込み、見事にクラス優勝を飾った。

 これに気をよくした三菱は、翌年もサザンクロスラリーに挑戦。前年の反省からエンジンを100ccアップの1100ccとし、サスペンションを改良、フロントにディスクブレーキを組み込んだコルト1100Fベースのマシンを作り上げた。ちなみにラリー仕様のコルト1100Fのパワーユニットは、フォーミュラ・コルトF3Aの技術をフィードバックしたもので82ps/7000rpmを発揮した。
 コルト1100Fは、2年目のサザンクロスでも大活躍した。全コースをノントラブルで走り切り、総合3位、クラス優勝を成し遂げたのだ。ドライバーのダグ・スチュアート選手は「コルト1100Fの足回り、シャシー、ボディの剛性は世界一。三菱がわずか1年でこれほど立派なラリーカーを完成させることが出来たのは、なによりベース車の優秀性を示している」と語った。一方で「総合優勝を狙うには1100ccでは非力、1600ccクラスのマシン開発が必要」と進言する。

総合優勝を目指したマシンの開発

 スチュアート選手の言葉に応え、1969年のサザンクロスラリーに三菱は、120ps/6800rpnのハイパワーエンジンを搭載したコルト1500と、実績のあるコルト1100Fの2本立てで臨む。ちなみにこの年のサザンクロスラリーには、当時圧倒的な速さを誇ったBLMC、フォード、GM、ルノーなどのトップチームが集結。ワールドイベントらしいビッグラリーに成長していた。

 ラリーはスタート直後から、BLMCのエース、アンドリュー・コーワン選手を、コロン・ボンド選手とダグ・スチュアート選手の三菱チームが追う激しい展開となった。コルト1500の速さは十分で、コーワン選手を追い詰める。しかしラリー後半、エンジンとシャシーのアンバランスが原因でペースダウンを強いられる。ボンド選手が3位、スチュアート選手が7位と健闘したものの、またも優勝はかなわなかった。「エンジンがパワフルでも総合的なバランスに優れていなければ優勝できない」。1969年のこの教訓は、以後の三菱のラリー活動を大いに成長させた。

すべてが新設計。初代ギャランの優れた戦闘能力

 1969年10月、三菱はエンジンからボディまで、すべてが新設計の初代ギャランをリリースする。ギャランはサザンクロスラリーをはじめとするモータースポーツで得たノウハウを生かしていた。なかでも軽量化と優れたボディ剛性の融合、高回転・高出力エンジンの完成度は見事だった。市販車と並行して、ラリーマシンの開発が行われたのも特筆ポイントである。

 1971年、すでに日本国内のラリーで大活躍していた初代ギャランは、世界に羽ばたく。三菱はその前年秋、オーストラリア・ラリーチームのキャプテンだったダグ・スチュアート選手を日本の浅間テストコースに招き、望月修、木全巌夫、篠塚健次郎選手など国内ドライバーとともに最終チェックを行った。マシン準備は万全だった。チーム体制も強化される。サファリラリーの優勝者エドガー・ハーマン選手が加わった。
 1971年のサザンクロスラリーは熾烈な戦いが繰り広げられる。終盤までギャランが1、2位をキープ。しかしコースに隠れていた岩にサスペンションを強打するアクシデントに遭遇し、惜しくも優勝を逃した。

 しかしギャランは1500ccの小排気量ながら、GMの主力マシン、3300ccのホールデン・トラーナ以上に俊敏な加速と安定したフットワークを示した。くに操縦安定性では大きなアドバンテージがあった。不運なアクシデントで“デビューウィン”は逃したものの、総合3、4位に食い込んだギャランに三菱は大きな手応えを得る。

日産チームを下し、1972年悲願の初優勝

 1972年のサザンクロスラリーには、エンジン排気量を1600ccに拡大したギャラン16Lで臨んだ。ドライバーには、新たにかつてのBLMCチームのエースで多くの国際ラリーで大活躍しているアンドリュー・コーワン選手を加える。

 ラリーは一段と国際色を強めていた。1972年はラウノ・アルトーネン選手のドライブするダットサン240Zで日産チームも参戦。三菱と日産の一騎打ちとなる。ダットサン240Zの速さは見事だった。しかしギャラン16Lの速さはそれ以上。コーナリング能力に優れたギャラン16Lは、山岳コースで終始トップに立ち、ついに念願のサザンクロス総合優勝を果たす。ゼロからスタートして、5年目で国際ラリーを制したこの成果に世界が注目した。1972年のサザンクロスラリー優勝が“ラリーの三菱”の栄光の序章となったのである。またサザンクロスをラリー制したアンドリュー・コーワン選手が、三菱を代表するドライバーとなったのもこのタイミングだった。