GTO 【1990,1991,1992,1993,1994,1995,1996,1997,1998,1999,2000】

バブルが生んだ、高性能4WDスポーツ



コンセプトカーHSR&HSR-Ⅱの市販版

 カタログ上のデータ至上主義に陥っていた日本の高性能車の、いわば最後に登場したのが、1990年10月にデビューした三菱GTOである。最後に出ただけあって、その装備とメカニズムはまさしく“満艦飾”と言えるほど、当時考え得る在りとあらゆるものを搭載していた。
 三菱GTOのルーツは2台のコンセプトカー。1987年の東京モーターショーに出品されたHSRと、1989年の東京モーターショーでデビューしたHSR-IIである。HSRで提案されたビスカスカップリングで最終減速を行うフルタイム4WDシステムや、4WD用の2チャンネル式4輪ABSなどがGTOに結実している。さらにHSRの発展版として1989年に登場したHSR-IIではV6・3.0リッターエンジンや、空力を積極活用して操縦安定性を高める可変空力パーツなどがGTOに先駆けて組み込まれていた。三菱は先進技術の採用に積極的なメーカーだが、GTOはフラッグシップとしてどん欲なほど未来を指向していたのだ。

 市販モデルに与えられたGTOの名(本来はGTクラスの認定=Omologatoを意味するもの)は、1960年代のイタリアのフェラーリ250GTOにも使われているのだが、三菱GTOが同じ意味でこの名を使ったとは到底思えない。それはあくまで高性能イメージを伝えるネーミングとしての車名だったのだろう。いずれにしても三菱にとってのGTOは、1969年に登場した初代GTOの生産終了以来、欠番だった“とっておき”のネーミングだった。

市販GTOは2+2構成

 HSR&HSR-Ⅱのショーモデルとしての反響の大きさに力を得た三菱自動車では、市販モデルの最終調整に入った。ちなみにユーザーの反応を見るための完全なプロトタイプのHSR&HSR-Ⅱと、生産型のGTOの開発は別途進行していた。HSR&HSR-ⅡとGTOの最も大きな相違点はショーモデルでは純粋な2人乗りクーペだったが、市販モデルでは2+2構成の4シーターとなったことだ。また、リアスポイラーの処理も違う。ただし強い抑揚を持った造形と、スーパーカーとして説得力のある派手なスタイリングはHSXと同等のインパクトを持っていた。具体的には操縦性を高めるワイドトレッド、Zラインと呼ばれるダイナミックなボディライン、そして3次元曲面ガラスを使ったカプセル状のキャビンなどオーバーラップした。

国産最強トルクを誇ったツインターボ!

 フロントに横置き搭載するエンジンは2種あり、いずれも排気量2972㏄のⅤ型6気筒DOHC24バルブで、自然吸気型とHSXと同様のインタークーラー付きターボチャージャーを2基備える高性能型が選べた。自然吸気型(225ps/28kg・m)は同じ三菱のディアマンテなどにも使われているユニットだが、ツインターボはGTO専用だ。ツインターボ仕様の最高出力は280ps/6000rpm、最大トルクは42.5kg・m/4500rpmと発表された。出力はともかく、トルクは当時の国産車中ダントツの値であった。駆動方式はフルタイム4輪駆動方式だが、それ以外に4WS(4輪操舵)や4IS(4輪独立懸架)、ECS(電子制御サスペンション)、4ABS(4輪アンチロック・ブレーキ・システム)と言った装備をビルトインし、“オールホイールコントロール理念”を標榜していた。ツインターボ仕様のトランスミッションは5速マニュアルのみの設定となっていたが、このミッションはドイツのゲトラーク社との共同開発によるものであった。こうしたことをみても、コスト無視と言えるほどの凝りようであったことが分かる。

 インテリアもかなり凝ったデザインとなっており、運転席のSRSエアバッグを全車に標準装備としたことは、安全性への積極的な取り組みを示したものだ。ただし、室内のスペースが4人乗りとしてはいささか窮屈であり、実質的には2+2であったことは致し方ない。また、ブレーキは国産車としては初めて前輪に4ポッドキャリパーを持ったベンチレーテッドディスクを装備していた。

NSX、GT-Rを速さで凌駕!

 GTOはいままでにないハイスペックを持つことから、その性能は凄まじいものがある。ある記録によれば、最高速度は248km/hに達し、0→400m加速13.3秒、0→1000m加速24.8秒であったと言う。十分の一秒単位の違いだろうが、同クラスのライバルであるホンダNSXや日産スカイラインGT-R(R32)などより確実に速かったのだ。車重が1700kgオーバーと、この種のクルマとしては重量級であることを考え合わせれば、その性能は十分以上のものがあると言って良い。ただし操縦性の善し、悪しは、ドライバーの力量に負うところが大きい仕上がりだった。1990年代のクルマとしては珍しいことだ。安定しておりポテンシャルの80%程度で楽しむ分には、バランスの取れたクルマだったが、最後の領域に踏み込むには相応のテクニックを必要とした。

 ただし価格はライバルと比較して圧倒的という表現が適切なほどリーズナブルだった。なにしろ、これだけの装備と性能を持ちながら、価格はツインターボで398万5千円にすぎなかったのだ。これは三菱の余裕と言えるものだったろう。同時に高度なメカニズムながら、他の三菱各車とオーバーラップする部分は積極的に同一化を図ったコストダウンの成果でもあった。
 ちなみに、三菱GTOは、当時資本提携関係にあったアメリカのクライスラー社から、スタイリング違いのダッジ・ステルスとして販売され、1991年にはアメリカでインポート・カー・オブ・ザ・イヤーのタイトルを獲得している。
 バブルが生んだ高性能車、それが三菱GTOだったのである。