トヨタ・デザイン02 【1956〜1967】

独自企画の国民車と空力特性を追求した量産乗用車の登場

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トヨタ版国民車の市場デビュー

 上級モデルのクラウンや量産小型車のコロナなど、オリジナル企画の乗用車を世に送り出してきた1950年代までのトヨタ自動車工業。海外メーカーとの技術提携に頼ることなく、独自で乗用車の技術革新を成し遂げようとするその姿勢は、いわゆる通産省の“国民車”構想への回答策でも展開されることとなった。

 トヨタ自工は1956年9月にオリジナル版国民車の試作モデルである「1A」の第1号車を公開し、以後度重なる改良を続ける。1961年6月にはついにトヨタ版国民車をリリース。車名は公募の結果、パブリック(大衆)とカーを掛け合わせた「パブリカ」と名づけられた。

機能本意のシンプル指向で販売は苦戦

 UP10の型式を付けたパブリカは、軽合金素材やプラスチック材を多用したシンプルで軽量なボディ、新設計のU型697cc水平対向2気筒OHVエンジン、軽自動車に匹敵する38万9000円(東京標準価格)の低価格などで話題を集める。スタイリングに関してはスペース効率を最大限に重視。軽量なモノコックボディに水平基調のボクシーな造形を採用した。さらに、多くの試作を重ねてデザインを決定した大型グリルやパステル調のボディ色、中型車に匹敵する大きなトランクルーム、人間工学理論に基づいて設計したキャビン空間などを盛り込む。ちなみに、パブリカの開発過程では当時のアメリカの最新デザイン工程、具体的にはレンダリングを基に実物大クレイモデルを製作して艤装を施しながら造形を練り上げていく手法が初めて実施された。

 当時の自動車マスコミからは、「思想があるクルマ」「合理性に富んだ1台」などと称えられたパブリカ。しかし、その好評の一方で販売成績は伸び悩む。新販売網の「パブリカ店」までも設けたトヨタ自動車販売は、当初パブリカの月販目標を3000台としていたが、実際は2000台に満たない月が続いた。最大の要因は簡素すぎた内外装。一般庶民にとってクルマがまだまだ贅沢品だった当時、見栄えがしない外観や快適装備がほとんどない室内を有するパブリカは、購入意欲をそそらなかったのである。

デラックスの設定で販売台数が伸長

 販売セールスの苦戦が続く中、販売店では懸命の営業努力が続けられた。そんな中、ディーラー独自でラジオやヒーターなどを標準装備した特別仕様車が設定され、ユーザーから好評を博す。これをヒントに、トヨタ自工側でも見栄えをよくするための改良を実施し、1963年7月にはステンレス製のグリルやサイドモール、メッキタイプのホイールカバー、インパネのクロームモール、室内カーペットなどを備える「デラックス」グレードを発売した。さらに、同年10月にはオープンボディの「コンバーティブル」をリリース。質素な雰囲気にスポーティなイメージを加味した。

 標準モデルに比べて4万円ほど高かったデラックス仕様だったが、販売成績は絶好調。また、コンバーティブルもパブリカ・シリーズの注目度を大いに引き上げる。結果的にパブリカ全体の月販は、一気に70%あまりも伸長した。ユーザーはクルマに対してより上級で見栄えのするものを望んでいる——この教訓は、後の新しい大衆車=カローラの開発過程に活かされることとなった。

空力特性を重視した3代目コロナのスタイル

 トヨタ製乗用車のボトムラインを支えるパブリカを新設定する一方、開発陣は量産乗用車のコロナの全面改良も精力的に推し進める。そして1964年9月、3代目となる新型コロナを市場に放った。
 T40系の型式を付けた新型コロナのスタイリングは、ボディ側面を一直線に貫く“アローライン”や傾斜した“クリーンカット”のフロントノーズなどが特徴で、トヨタ自工では「空気力学を追求した先進の造形」と説明した。ボディサイズも拡大され、見栄えのアップと同時に室内空間が広げられた。メカニズムについては、R型エンジンの大幅改良(62ps→70ps)とボディの軽量化、サスペンションのチューニング変更および耐久性の向上、ステアリング機構の一新(ボールナット式へ)、燃料タンク容量の増加(45L)などが施される。

 トヨタ自工は3代目コロナをデビューさせるに当たり、開通間もない名神高速道路で10万km連続走行テストを公開で開催し、大きなトラブルなしで見事に完走を果たす。同社は「国際水準の高性能とボディサイズに、国際感覚の内外装を持つクルマ」として大々的にアピール。市場でも“高速に強いコロナ”と高く評価された。

国産車初となる2種のボディタイプの追加

 3代目コロナのスタイリングの革新は、デビュー後も続いた。1965年7月には、国産車初となるピラーレス構造のHT(ハードトップ。T50型系)が追加される。個性的かつスポーティなルックスを有するHTは、若者層を中心に大人気を博した。さらに1967年8月には、HT1600Sをベースに9R型1587cc直4DOHC+ソレックス・ダブルチョーク・ツインキャブレターを搭載し、足回りも大幅に強化した「トヨタ1600GT」が市場デビュー。HT人気に拍車をかけた。

 HTの登場から4カ月ほどが経過した1965年11月になると、これまた日本車初のボディ形状となる5ドアセダンが市場デビューを果たす。ハッチゲートを持つ5ドアボディは、当時の欧州市場で人気を集め始めていた先端モードのボディ形状だった。ちなみにこの5ドアセダンのクルマ造りは、後のリフトバックの開発にも活かされることとなった。

 3代目コロナは1965年1月に初めて最大のライバルであるブルーバードの販売台数を上回り、念願の国内登録台数第1位を獲得する。また、HTや5ドアセダンなどが加わった以降は、コロナの首位が盤石なものとなっていった。