シビック(アメリカ輸出仕様) 【1973,1974,1975,1976,1977,1978,1979】

HONDAの名声を決定した素晴らしき小型車

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ホンダらしいクルマ、でも異色の存在

 ホンダの本格的なアメリカ輸出は1962年、“You meet the Nicest People on HONDA(素晴らしき人、ホンダに乗る)”のスーパーカブのキャンペーンで始まった。4輪車は1960年代後半のN600、Z600を経て1973年の初代シビックが先兵となった。

 水冷エンジン、エンジン横置きFFレイアウト、合理的な2BOXスタイルという、当時のコンパクトカーの流れを先取りしたシビックは異色の存在だった。大排気量&ビッグサイズが当たり前のアメリカ市場で受け入れられるかどうかは未知数なところがあった。しかしホンダの開発陣はシビックの成功を疑っていなかった。

当初から国際車として開発されたシビック

 ひとつは当初からシビックを国際車として開発しており、日本はもとより欧州、アメリカ市場にも受け入れられるだけの走行性能と室内ユーティリティを磨き込んでいたからだ。事実、シビックは1971年3月に試作車が完成するとすぐにアメリカでのテストを実施している。15人ほどのテストスタッフでロサンゼルスから4000kmほどを一気に走るテストだ。

 テストの主眼は気温40度を超える灼熱のデスバレーでの耐熱チェックだった。案の定、試作車は高温の砂漠を時速90mphで走るとエンジンルームに熱が籠もり、再スタートが困難になるホットリスタート現象が発生した。この問題はボンネットに2対のエアアウトレットが追加することで解決する。

 スポーティな印象を与えるエアアウトレットは日常性能を重視したシビックには似合わないと物議を醸したが、単なるデザイン上のアクセントとして採用したものではなく、アメリカテストの結果だったのだ。シビック以前の日本車は、基本的に日本国内でテストを行い、輸出後、問題が起こるとその度に対処を図っていた。しかし国際車として開発したシビックは、事前のテストで問題を潰していた。だからこそ当初から高い完成度を誇っていたのである。

優れた燃費性能が評価され人気が沸騰

 時代もシビックの成功を後押しした。シビックの本格アメリカ輸出とタイミングを合わせて世界を襲ったオイルショックが、燃費に優れたコンパクトカーにユーザーの目を向けさせたのだ。シビックは同じ量のガソリンでアメリカ車の約3倍も走れた。アメリカで購入できる最も燃費のいいクルマの代表だったのだ。

 燃費がよくしかもキビキビと走るシビックはたちまち人気モデルに成長する。しかも当時の大きく、燃費の悪いアメリカ車とはすべてが正反対のシビックに乗ることは、ちょうどVWビートルと同様の知的な選択としてひとつの流行にもなった。1973年当時シビックに乗ることは、現在のハイブリッドカーを選ぶのと同様だったのだ。

 さらにシビックは1973年2月に独創のCVCCエンジンによって、当時達成が不可能と言われた厳しい排出ガス規制、アメリカ・マスキー法を世界ではじめてクリアー。1975年にはCVCC仕様の本格輸出も開始し、燃費だけでなく、世界で最もクリーンなクルマという称号も獲得する。

大型バンパーを標準装備したアメリカ仕様

 アメリカ輸出当初のシビックは、日本仕様のGLとハイデラックスの中間に位置する装備が施されていた。ボディタイプは2ドアとリアゲートを持つハッチバックの2種で、エクステリアは衝撃吸収タイプの大型バンパーが特徴。アメリカの保安基準に適合させるため大型のサイドマーカーランプを持ち、フロントのウインカーはフォグランプのように独立してバンパー上に配置していた。インテリアは日本仕様のGLと共通のシートを採用しているが、タコメーターは未設定。トランスミッションは4速マニュアルと、ホンダマチックと呼ばれる無段変速オートマチックから選べた。

 シビックによって先進的な4輪メーカーというブランドイメージを一挙に確立したホンダは、その後シビック以上にアメリカ市場にマッチしたアコードを開発。ライバルに先駆けてアメリカ現地での生産を準備する。現在では日本以上にアメリカで愛されるブランドに成長した。ホンダの成功は、開発陣の強い決意と先進的なクルマ作り、そしてなにより初代シビックの高い実力がもたらしたものだった。