ハイエース・デリバリーバン 【1967,1968,1969,1970,1971,1972,1973,1974,1975,1976,1977】

新方式ボディ構造採用。商業車を変えたスタイリッシュモデル

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基本形はデリバリーバン。広い荷室を実現

 世界で最も信頼され、愛されている日本車の1台、トヨタ・ハイエースの歴史は1967年10月に始まる。ハイエースは商業車の基本形を、トラックからライトバンに変えた偉大な存在。クローズドボディのデリバリーバンを基本車種として開発した日本初の小型ワンボックスモデルである。

 ハイエース以前のワンボックス型デリバリーバンは、トラック派生モデルだった。当時のトラックはボディ別体のフレーム形式を採用していたため、ラゲッジ床面を高くせざるを得なかった。そのため見た目の印象ほどには荷物が積めなかった。ハイエースは違った。ハイエースはフレームに相当するメンバーを直接ボディに溶接してマウンティングしたユニット・コンストラクション方式ボディ構造を採用。圧倒的に低いラゲッジ床面を実現する。

大きな積載スペースを確保しており、荷物の積み降ろしもラクだった。しかもデリバリーバンは全天候型のクローズドボディである。トラックはたとえ幌があっても、雨天時などに備えて荷物を天候の変化から守る工夫が必要だった。ホコリも荷室に容赦なく侵入した。デリバリーバンはこの点、安心。雨やホコリの侵入を気にする必要はなかった。荷物自体の厳重な梱包も不要にした。ハイエース・デリバリーバンの荷室寸法(3名乗り)は長さ2670mm、幅1405mm、高さ1315mm。最大積載量は850kgに達した。ハイエースのラインアップはデリバリーバンを中心に、トラックやコミューター(マイクロバス)、ワゴンと多彩だったが、基本はあくまでデリバリーバン、ハイエースの場合、トラックは派生車種だった。

乗用車感覚の走り。前輪独立サスペンション装備

 ハイエースはボディ構造が新しいだけではなかった。乗用車感覚の走りの実現にも全力を注いでいた。フロントサスペンションはコイルばねを用いた独立タイプのウィッシュボーン式を採用。ステアリングの角度設定にも気を配り、フルキャブオーバーのワンボックス型ながら乗用車に近いドライビングポジションを実現していた。クッション性をリファインした新構造のシートと相まって、乗用車から乗り換えてもすぐになじめる運転環境を実現したのだ。

スタイリングもスタイリッシュである。ハンサムな4灯式ヘッドランプのマスクを持つシルエットは、安定感に溢れ、しかも都会的なイメージに溢れていた。どことなく「コロナのワンボックス型」のイメージが漂った。ボディのスリーサイズは全長4310mm、全幅1690mm、全高1885mm。当時としては全幅を小型車枠ぎりぎりの1690mmとワイドに設定したのが特徴だった。

トップスピード110km/h。オーソドックスなFR駆動

 ハイエースは安全性に対する配慮も行き届いていた。フロントウィンドーに厚さ5mmの強化ガラスを採用。インパネはセーフティパッド付きで、無反射タイプのメーターや防眩処理を施した金属金具などを装備する。
 エンジンは、排気量1345ccの直列4気筒OHVで、65ps/5000rpm、10・3kg・m/3000rpmを発生。コラムシフトタイプの4速トランスミッションを介して110km/hのトップスピードをマークした。現代の水準では非力な印象だが、当時としては余裕あるパフォーマンスだった。ちなみにトラックと12名乗りコミューターのエンジンはデリバリーバンと共通の1345ccを搭載。15名乗りコミューターとワゴンは1490cc(70ps)ユニットを採用していた。駆動方式はオーソドックスなフロントエンジン・リアドライブのFRである。

輸出市場でも大きな成功を収める

 ハイエース・デリバリーバンが登場した1967年前後は、世界的に商業車の転換期だった。VWタイプ2の優れたユーティリティと、高い人気に刺激され、多くのメーカーから新世代のワンボックス型デリバリーバンが登場する。とくに欧州では、フォード・トランジトバン、メルセデス・ベンツ・バン、オースチン&モーリス250JUなどが発表されワンボックス型バンが一気に普及した。

 ハイエース・デリバリーバンは、欧州のライバルと比較しても荷室の広さと運転のしやすさが光った。しかも耐久性は圧倒的。ハイエース・デリバリーバンは世界各地に輸出され、好調な販売セールスを記録する。とくにタフさが求められるアフリカなどでは圧倒的な人気を誇った。国際車ハイエースの現代に続く名声は、初代で確立した。