セリカ・コンバーチブル 【1987,1988,1989】

米国ASC社が協力した流麗4シーター電動オープン

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米国ASC社が手掛けたオープン化

 セリカのスタイリッシュなデザインと上質な室内空間という、スペシャルティカー本来の魅力を鮮明にしたモデルが、1987年10月に登場したコンバーチブルだった。
 セリカのコンバーチブルモデルは、FR最終モデルの3代目にも存在した。ただし3代目コンバーチブルは北米市場向け。日本では、FFレイアウトの4代目ST162C型から本格的に販売された。
 コンバーチブルは、4代目がマイナーチェンジして後期型に移行した2ヶ月後にデビュー。ボディのオープン化は、米国ASC(アメリカン・サンルーフ・コーポレーション)社によって行われた。

 コンバーチブルは米国が本場。日本ではフルオープンは“非日常”の存在だが、米国では多くのクルマに設定され、いわば“日常”のクルマ。生産台数が多く、オープンモデルに対して、豊富なノウハウを持ったスペシャリストが多数存在した。ASCは、その中でも業界をリードする専門集団。ASCが手掛けるコンバーチブルは、スタイルの良さと巧みなトップ開閉システム、そして効果的なボディ補強で定評を得ていた。トヨタがパートナーに選ぶだけに クオリティコントロールの点でも群を抜いていた。

日米合作の生産システムを採用

 生産システムは、やや複雑。日本から米国ASC社にベースボディを輸出。オープンボディ化した後にまた日本に戻され、最終擬装を施した後に出荷された。つまりコンバーチブルの生産は日米合作だった。完成までに2度太平洋を渡るだけに時間が掛かったが、コスト面では日本で生産するよりリーズナブルだったという。それはベースモデルを北米向け輸出車と一緒に専用船に乗せ、帰りも日本に戻る専用船を利用していたからだ。コンバーチブルのために新たにロジスティック・システムを構築するのではなく、既存のシステム利用でコスト上昇を防いでいた。日本国内にオープンカー生産用専用工房を新たに立ち上げるより品質面でもコスト面でもメリットがあった。

高効率のハイメカツインカムを搭載

 コンバーチブルのスタイリングは伸びやか。フルオープン時は開放感たっぷりで、トップを閉じるとクーペイメージのパーソナル感を醸し出した。リアに独立したトランクリッドを持つ点は、4代目セリカと同時にデビューしたコロナ・クーペと共通。コンバーチブルは左右フロントピラーをはじめ、カウルサイド、後席幌収納部分を補強しボディ剛性を確保する。ドア回りも強化され、安全性に優れたボディに仕上げていた。

 搭載エンジンは、ハイメカツインカムと呼ばれる3S-FE型(1998cc直列4気筒DOHC16V)。パワースペックは120ps/5600rpm、17.2kg-m/4400rpm。トランスミッションは電子制御4速ATと、5速MTが選べた。

オープンはスイッチひとつの簡単操作

 トップ本体は、耐久性に優れたキャンブリアクロスを使用したソフトトップ。幌の操作は油圧ポンプを用いた電動タイプで、幌のロック機構を解除すれば、スイッチひとつでオープンとクローズが可能な電動開閉式だった。信号待ちの間に開閉でき、爽快なクルージングを約束した。フル4シーターのコンバーチブルモデルである点も魅力で、仲間を乗せてのオープンクルージングは、さながらアメリカ映画のワンシーンのような楽しさを与えてくれた。

 装備は充実。カセット一体式4スピーカーオーディオ、パワーアンテナ、全席パワーウィンドウが標準装備だった。トランクルームは、フルトリムが施され、ゴルフバッグ3セットを収納できた。畳んだ幌を格納するトノカバーも備え、オープン状態でもクローズ状態でも、流麗なアピアランスが楽しめるコンバーチブルモデルとして高い人気を博した。デビュー時の価格は323万円からだった。